「ありがとう」を、つい連発してしまう本人
第2話では、感謝の言葉が出にくい本人とは別に、感謝を言いすぎてしまう本人の話を、扱います。職場で同僚が小さな手助けをしてくれるたびに「ありがとう、本当にありがとう、助かりました、すみませんでした」と、長く繰り返してしまう。家族との会話の中でも、相手が何かをするたびに「ありがとう」を返してしまう。本人は、それが当たり前で、丁寧なことだ、と感じています。
けれど、連発される感謝は、相手にとって、必ずしも快いものとは、限りません。場合によっては、相手との距離を、かえって広げてしまうことが、あります。これは、本人の人柄の問題というよりは、感謝の量と関係の濃度のバランスの、ずれの問題です。
感謝の連発に、相手が感じるもの
「ありがとう」を何度も繰り返されると、相手は、はじめは喜びますが、ある回数を超えると、戸惑い、ややあって、息苦しさを感じはじめます。本人がそんなに恐縮するほどのことをしたつもりはないのに、と相手の中で居心地の悪さが生まれます。
恐縮されすぎた相手は、本人と次に関わるとき、気軽に手を貸せなくなります。気軽に貸した手のたびに、本人から大きな感謝が返ってくるのが、相手にとって、しんどいからです。結果として、相手と本人の関係は、軽い行き来ができにくくなっていきます。
過剰な感謝は、距離を作る
感謝が過剰になると、本人と相手のあいだに、見えない距離が、できはじめます。「あなたは私にとって特別に有り難い存在で、私はあなたから恩を受けている側」という構図が、繰り返される感謝のたびに、強化されます。これは、対等な関係を作りにくくする方向に、働きます。
距離は、本人を守る装置として、本人の中に置かれていることが、あります。相手と対等な高さに立つことが怖いから、感謝で本人を一段低く保って、相手を一段高く保つ。本人にとっては、それが安心なやり方として、長く繰り返されています。
「ありがとう」が、自分を低くする装置になる
連発される感謝は、本人を、関係の中で低い位置に固定しがちです。本人が下、相手が上、という配置が、本人の自意識の中で、固まります。やがて、本人は、相手に対して、対等な要求も、対等な意見も、出しにくくなります。
これは、相手が望んだ配置とは、限りません。多くの相手は、本人を低く扱いたくて低く扱っているわけではなく、本人が自ら低く座り直し続けていることに、戸惑いながら付き合っています。本人の側にも、関係を低くしている動作の自覚が、必要になります。
「すみません」混じりの感謝
連発される感謝には、しばしば「すみません」が混ざります。「ありがとう、本当にすみません、申し訳ないです、助かりました、ご面倒おかけしました」というふうに、感謝と謝罪が、ひとかたまりに、口から出てしまいます。本人にとっては、これがふつうの丁寧さです。
けれど、感謝と謝罪が混ざった言葉は、相手に「あなたは私に迷惑をかけている」という解釈の余地を、置いていきます。相手は、本人が恐縮しているのを見て、自分のしたことが負担だったのか、と感じはじめます。本人の中の丁寧さが、相手の中で、軽い罪悪感を作ります。第9話の「すみません」依存を抜く回 も、合わせて参考にしてください。
感謝の連発が、関係の深まりを止める
関係の中で感謝の言葉が多すぎると、関係はそれ以上深まりにくく、なります。相手にとって、本人は「いつも有り難がっている人」のままで、本人の弱み、不満、本音、を見せにくい相手として、固定されていきます。
関係が深まるためには、本人の側にも、相手の側にも、感謝以外の言葉が、流れていく必要があります。お願いごと、軽い不満、率直な意見、笑い話、こうした感謝以外の言葉が、関係の幅を作ります。感謝で関係を埋めると、その幅が、生まれにくくなります。
育った家での「感謝のしつけ」
感謝を連発する習慣は、しばしば、本人が育った家での「感謝のしつけ」の延長線上に、あります。「もらったらすぐありがとうと言いなさい」「迷惑をかけてはいけません」「人さまにお世話になったら大げさにお礼を」という言葉を、本人は、何度も聞いて育っています。
このしつけは、本人を、人前で礼儀正しい人に育てる一方で、感謝の量を関係の濃度に合わせて調整する、というやり方を、本人に教えていません。結果として、すべての場面で同じ量の感謝を、本人は配ってしまっています。家族と罪悪感と感謝 も参考になります。
「感謝が足りない」と責めない
本シリーズは、相手に感謝の量を増やすことを、本人に勧めません。逆に、相手が本人に感謝の量が足りない、本人を尊重していない、と本人が感じる場面でも、相手の感謝量を判定の材料にすることは、勧めません。「ありがとうの数」で関係の質を測る発想を、本人の中から、いったん外します。
感謝の量と、関係の質は、一対一で対応しません。たくさん「ありがとう」を言う関係が、深いとも、限りません。少ない言葉で、深い関係を保っている人たちも、たくさんいます。
言わなくてもよい感謝を、減らす
本人が連発している感謝のうち、本当に必要なものは、案外、少ないことが、多いです。同僚が日常業務の延長で本人に協力してくれた場面、家族が家事を分担している場面、店員が業務として接客してくれている場面、これらの全部に「ありがとうございます、本当にありがとうございます」と長い感謝を返す必要は、ありません。
軽い一言の「ありがとう」、もしくは、無言の会釈で、十分に伝わる場面のほうが、本人の生活の中では、多いものです。長い感謝を、本当に必要な場面のためにとっておく、と本人の中で配分を変えてみてください。
本人の中の恐怖を、見直す
感謝を連発してしまう本人の中には、しばしば、「言わなかったら相手に嫌われる」「言わなかったら次から助けてもらえなくなる」「言わなかったら自分は感謝のない人間だと判定される」という、恐怖の感覚が、あります。連発される感謝は、本人が、自分を守るための保険のような働きを、しています。
恐怖の正体が、本人の中で言葉になると、感謝の量を減らすことが、現実的になります。減らすことは、相手を軽んじることでは、ありません。本人の保険の量を、本人にちょうどよい大きさに、置き直す動作です。
「ありがとう」の代わりに使える言葉
連発される「ありがとう」を減らすときに、代わりに置ける言葉を、本人の中に少しずつ揃えておくと、助かります。「助かりました」「ちょうどよかったです」「うれしいです」「次は私が」「お互い様で」など、感謝に近いけれど、本人を低く固定しない言葉が、いくつかあります。
これらの言葉は、相手との関係を、対等な位置に置きやすい言葉です。本人の口の中で、これらの言葉を、回数をかけて慣らしておくと、感謝の代わりとして、自然に出てくるように、なります。
感謝を「返す」よりも「返せる関係を続ける」
本人が、感謝を口で返すこと自体に集中してしまうと、関係を長く続けるための動作が、後ろに回ります。感謝は、その場で口で返さなくても、次に相手が困った場面で本人が動くことで、返せます。長い時間軸での貸し借りは、口先の感謝とは別の次元で、動いています。
「いま返さなければ」という焦りを、本人の中で少しゆるめてみてください。次の機会、来年、5年後、と、感謝の返し方は、長く分けて返すこともできます。境界の前中後 の発想も、参考になります。
過剰な感謝が、相手を疲れさせる場面
連発される感謝が、相手を疲れさせる場面の典型は、家族関係です。同居している配偶者や同居している親に対して、本人がすべての家事の手伝いに「ありがとう」を返し続けると、相手は、家事を当然の生活動作として、共有しにくくなります。本人がいちいち恐縮することで、相手は「自分がやってあげている」感覚を強めてしまいます。
家族のあいだの家事は、感謝の対象というよりも、共同の運営の中身です。感謝の量で家事の重さを測ると、関係が、不均衡になりやすいです。義実家との共同決定 の発想も、本人の側の関係調整に応用できます。
「ありがとう」を内側にためる時間
口に出さない感謝は、本人の中に消えてしまうかというと、そうでも、ありません。口に出さなかった感謝は、本人の中に、ふだんの感覚として、たまっていきます。相手に対する穏やかな尊重として、本人の動作の中ににじみ出てきます。
外に出さなくても、内側にためてある感謝は、関係の中に長く効きます。「ありがとう」を口にする回数を減らしても、本人の中の感謝の総量は、減らないどころか、深まっていくことが、あります。
連発を減らしても、本人の本質は変わらない
本人が連発を減らしはじめると、本人の中に、「自分は冷たい人になってしまうのではないか」「礼儀がなくなってしまうのではないか」という不安が、立ち上がります。これは、長く続けた習慣を変えるときに、誰の中にも起きる不安です。
連発を減らしても、本人の中身は、ほとんど変わりません。本人の人柄、姿勢、相手への気持ち、はそのまま、本人の中に残ります。表に出す量を、本人にとってちょうどよい大きさに、調整しているだけです。「いい人」の仮面 も参考になります。
「ありがとう」を一日に何回言っているか、数えてみる
本人の連発の量を、本人の中で見える化するには、ある一日、自分が「ありがとう」「すみません」「申し訳ない」を、口にする回数を、ざっくり数えてみるのが、参考になります。本人にとって、想像していたよりも、ずっと多い回数を、口にしていることが、わかる場合が、あります。
数を減らす目的で数える、というよりは、自分の中の感謝の習慣を見直すために、数えてみます。数える日があるだけで、その日以降、本人の中で、感謝の量に対する感覚が、変わります。本人の身体が、自然に調整しはじめます。
相手の役割を、感謝で固定しない
本人が、ある相手に対して、いつも同じ役割で感謝をし続けていると、その相手は、その役割の中に、固定されていきます。「いつも助けてくれる人」「いつも気を遣ってくれる人」という、本人からの位置づけが、相手に与える役割になっていきます。
相手は、その役割から、出にくくなります。たまに本人を頼りたい場面が来ても、固定された役割を崩しにくく、声をかけられなくなります。感謝の連発は、ときに、相手から、本人に頼る自由を、奪っていることがあります。
過剰でも不足でもない、ちょうどよい感謝
本シリーズが目指すのは、本人にとって、過剰でも不足でもない、ちょうどよい感謝の量、です。これは、人によって、関係によって、場面によって、違います。本人の中で、決まった正解の量は、ありません。本人と相手のあいだで、ゆっくり探っていく量です。
探っていくあいだに、出しすぎる日も、出し損ねる日も、あります。それでも、関係は壊れません。本人が、自分の中の感謝量を観察できるようになることが、量そのものよりも、長期的には、効きます。
関連するシリーズ
本テーマと並べて読むと役に立つ既存のシリーズを、挙げておきます。本人が低い位置に座り続ける癖については 承認欲求シリーズ が、家族の中で感謝が制度化されている場面については 家族の境界と感謝 が、義家族関係での恐縮の使われ方については 義実家との贈答疲れ が、参考になります。
また、本シリーズの他話とも、行き来をおすすめします。第3話 謝罪が詰まる時間 や、第9話 「すみません」依存を抜く と、つなげて読むと、本人の中の感謝と謝罪の動きが、立体的に整理されます。
第3話への接続
次回は、謝罪の言葉が詰まる時間と、必要以上に自分を責めてしまう動きとの、区別を扱います。感謝のしすぎと同様に、謝罪のしすぎも、本人を消耗させる方向に働きます。同時に、謝罪が詰まっていることと、自責が薄いこととは、別の動きです。本人が、両者を切り分けられるようになると、ふだんの場面での選び方の幅が、少し増えます。
本シリーズは第3話まで無料、その後は会員限定です。次回もどうぞ、ご一緒に。第3話の最後に、無料公開の終わりについて、改めて案内します。