このシリーズが扱うこと、扱わないこと
「ありがとう」と「ごめんなさい」が、言いたい場面で喉に詰まる。あるいは、本当は思っていないのに口から出てしまう。本シリーズは、感謝と謝罪という二つの言葉が詰まる時間を、本人の性格や弱さの問題に押し戻さずに、関係の構造、歴史、場の文脈の側から整理する10話です。本人を責める読みものではなく、本人と相手のあいだに置き直す読みものとして、お読みください。
同時に、本シリーズは、ハラスメントや家庭内暴力の被害者に対して、加害者への感謝や謝罪を促すものではありません。安全が守られていない関係では、まず距離を取ること、専門の相談窓口に連絡することが、言葉より先に来ます。各自治体の配偶者暴力相談支援センター、よりそいホットライン、警察などにご相談ください。本記事は、医療や法的判断を代替するものではありません。
言葉が止まる経験は、誰の中にもある
仕事で助けてもらったあとに「ありがとうございました」が言いそびれた。家族にひどいことを言ってしまったのに、その夜「ごめん」が口から出てこなかった。こうした体験は、誰の中にも、年に何度か起きています。本人だけに固有の弱点では、ありません。
言葉が止まったあと、本人の中には、しこりのような違和感が残ります。本来言うべきだった、と本人が思っているからです。けれど、止まったこと自体は、本人を責める材料には、なりにくいです。止まる仕組みを、まず整理していきます。
詰まりは性格ではなく、関係の問題に近い
「自分は感謝を伝えるのが下手だ」「謝るのが苦手な性格だ」と、本人が性格に詰まりを帰してしまうことは、よくあります。けれど、同じ本人が、別の相手の前では、すんなり言えていることが、たいてい、あります。同じ言葉でも、相手と場面によって、出やすさが大きく変わります。
これは、詰まりが、本人の中身の問題というよりも、本人とその相手のあいだに、ある何かに引っかかっている、ということを意味します。詰まりの原因を性格に置くと、本人は責められたまま動けません。関係の側に置くと、見えてくるものが変わります。
身体に出る詰まりの兆候
感謝や謝罪が詰まるとき、本人の身体には、しばしば、わかりやすい兆候が出ます。喉のあたりが固くなる、息が一瞬止まる、肩がきゅっと上がる、口の中が乾く、胸の真ん中が重くなる。これらは、本人が「言わなければ」と頭で考えているのに、身体が「待った」をかけている状態、です。
身体の側の反応を、本人の中で、嘘の兆候として扱わないようにします。身体が止めているのには、たいてい、理由があります。安心しきれていない、相手の反応が読めない、過去に同じ場面で傷を負った、などの理由が、身体の側に記憶として残っています。
「ありがとう」が出ない場面の中身
「ありがとう」が出ない場面には、いくつかの中身が混ざっています。借りを作りたくない、相手に弱みを見せたくない、感謝を伝えると相手に主導権を渡すように感じる、自分はそんな大それた助けを受けるに値しない、などの感覚が、本人の中で同時に動いています。
これらは、どれも、それなりに筋の通った感覚です。本人を責める材料ではありません。詰まる場面の中身を、本人の中で一つずつ言葉にしておくと、次に同じ場面が来たときに、本人が選べる動きの幅が、少し広がります。
「ごめんなさい」が出ない場面の中身
「ごめんなさい」が出ない場面の中身も、似たように複層的です。負けを認めたくない、相手にこれ以上強く出られるとつらい、自分の側にも事情がある、ここで謝ると今後のすべての場面で謝らされ続ける気がする、などの感覚が、同時に動いています。
謝罪の詰まりは、特に、相手と本人のあいだの力関係に強く影響されます。本人だけが繰り返し折れてきた歴史のある関係では、詰まりは、本人を守る最後の防衛にもなっています。それを軽々しく崩すと、本人の生活が、揺れます。
感謝の詰まりと謝罪の詰まりは別物
感謝が詰まる本人と、謝罪が詰まる本人は、同じ本人の中でも、別の場所で起きていることが、あります。感謝はすんなり言えるのに謝罪が出ない本人もいれば、謝罪は過剰なほど言えるのに感謝が言いにくい本人もいます。両方とも詰まる、片方は流れる、と、組み合わせは様々です。
本シリーズでは、感謝と謝罪を、同じ「詰まる軸」の中で扱いますが、中身は別物として、切り分けて見ていきます。本人がどちらに詰まっているのか、両方なのか、を最初に確認しておくと、後の回が読みやすくなります。
「言わなければ」の圧
本人を強く縛っているのは、しばしば、「言うべきだ」「言わなければ礼儀知らずだ」「言わなければ非常識だ」という、外側から来る圧、です。家族、職場、地域、ネット、いろいろな場所から、この圧は本人にかかります。本人が、自分の中の圧なのか、外から来た圧なのか、区別できなくなっている状態が、よくあります。
圧の正体を本人の中で区別すると、詰まる場面の苦しさが、少し変わります。すべての場面で言わなければならないわけではない、ということが、ようやく、本人の中で受け入れられはじめます。これは礼儀の放棄では、ありません。
詰まる場面と、すらすら流れる場面の落差
本人は、自分が詰まる場面ばかりを覚えていますが、実は、ふだん「ありがとう」「ごめんなさい」をすらすら言えている場面のほうが、量としては多いものです。詰まる場面は、本人にとって重く印象に残るので、本人の中で過大に評価されています。
本人の中で、流れている場面の存在を、たまに思い出します。「自分は感謝を全く言えない人間だ」という自己像が、流れている場面の存在を、消してしまっていることがあります。落差の感覚は、本人の認知の片寄りに、近いです。
言葉と気持ちは、一対一で対応しない
「ありがとう」と本人が言わなかったから、感謝していないわけでは、ありません。「ごめんなさい」と本人が言わなかったから、悪いと思っていないわけでも、ありません。言葉が出ない時間に、気持ちは本人の中に、確かに、あります。
逆に、「ありがとう」「ごめんなさい」を口にしたから、その気持ちがそこにあるとも、限りません。形だけ口にしている瞬間も、誰の中にも、たくさんあります。言葉と気持ちのあいだの、ずれを、本人の中で許しておきます。中身のない謝罪 の話とも、地続きです。
関係の歴史が、言葉を縛る
本人がいま、ある相手に対して「ありがとう」が言えない、「ごめんなさい」が言えない、というとき、その背景には、本人とその相手の、長い歴史があります。子どもの頃に言わされた経験、何度も折れてきた経験、相手から一度も同じ言葉をもらえなかった経験。これらが、いまの本人の口の動きを、止めています。
歴史は、すぐには変わりません。けれど、歴史があることを、本人の中で認めると、詰まりに対する責めが、ゆるみます。家族の境界と罪悪感と感謝 も、参考になります。
加害的な関係では、言葉を強制しない
本人が、ハラスメントや暴力を受けている関係の中で、相手に「ありがとう」「ごめんなさい」を言うことを、強制されている場面が、あります。これは、関係の修復ではなく、本人を従わせるための装置として、言葉が使われています。
このような場面では、本人が言葉を出すことよりも、本人の安全を確保することが、先です。距離を取る、相談窓口に連絡する、信頼できる人に話す、ことが優先です。各自治体の配偶者暴力相談支援センター、警察、よりそいホットラインなどを、頼ってください。本シリーズは、加害的な関係での服従的な言葉を、勧めません。
育った家での言葉の扱われ方
本人が育った家で、「ありがとう」「ごめんなさい」がどのように扱われていたか、は、いまの本人の言葉に、大きく影響します。家のなかで誰が誰に言っていたか、誰が言わなくても許されていたか、本人が言わされていたか、本人が言われなかったか。これらは、本人の身体の中に、深く残っています。
育った家のパターンを、いまの自分の関係にそのまま持ち込む必要は、ありません。けれど、そこから自由になるには、まずパターンが見えている必要があります。世代をまたぐ境界 も参考にしてください。
「謝らせる/感謝させる」関係を、見直す
本人と相手のあいだに、本人ばかりが謝らされる、本人ばかりが感謝を求められる、という偏りが、長く続いている関係は、見直しの対象になります。偏りは、本人の側の不足ではなく、関係の側の構造の問題です。
見直すというのは、関係を必ず切る、ということでは、ありません。距離を変える、頻度を変える、伝え方を変える、第三者を入れる、など、選択肢はいくつもあります。接触を減らす選択 の発想も、応用できます。
「今は出さない」という選択
感謝や謝罪が、本人の中で言葉になっていない時期に、無理に絞り出して形にする必要は、ありません。今は出さない、と本人が決めることは、立派な選択です。出さないことが、本人を守る場面が、あります。
出さないことを、本人の中で罪のように扱うと、本人は二重に追い込まれます。出さない、ということを、選択として位置づけられる本人ほど、関係の中で長く呼吸ができます。これは、無責任とは違います。
出せるようになる時間は、人それぞれ
感謝や謝罪が、本人の中で言葉になる時間は、人それぞれです。10年経ってから言える人、相手が亡くなってから墓前で言える人、最後まで言葉にできずに別の形で表す人。どれも、本人なりの時間の流れ方、です。早く言葉にすればよい、ということでは、ありません。
本人が、まわりと自分の時間を比べないようにします。比べると、本人の時間が、本人の中で勝手に短くされます。修復が止まる時間 の話も、合わせて参考にしてください。
専門家を頼る目安
感謝や謝罪の詰まりが、本人の生活を強く圧迫している、本人が眠れない・食べられない・働けないほどに追い詰められている、過去のトラウマと結びついていて自分一人で扱えない、と感じる時期には、心療内科、精神科、心理カウンセリングなど、専門家に相談することを検討してください。
専門家を頼ることは、本人の弱さではなく、関係と言葉の問題が、本人一人の範囲を超えていることの、現実的な認識です。本記事は、医学的な診断や治療を代替するものでは、ありません。
関連するシリーズ
本シリーズと並べて読むと役に立つ既存のシリーズを、最初に挙げておきます。謝罪については 謝罪と修復のシリーズ が、家族の中での距離と言葉については 家族の境界シリーズ が、本人が無理を引き受けすぎる癖については 承認欲求シリーズ が、それぞれ参考になります。
また、義実家との関係で言葉が詰まる場面については 義実家での言葉 が、きょうだいとの長い歴史については きょうだいの役割 が、参考になります。本シリーズの他話と、これらを行き来しながら、本人にとっての言葉の位置を、少しずつ整えてみてください。
本シリーズで扱う10の局面
第2話では、感謝のしすぎが距離を作る現象を、第3話では、謝罪の詰まりと過剰な自責の区別を、扱います。第4話以降は会員限定で、声に出す練習、テキストでの送り方、親への言葉、子への言葉、パートナーとの循環、過剰さを減らす道、と、具体的な場面に降りていきます。最終話の第10話では、言葉一つの重みと、言葉なしでも伝わるものを、まとめます。
10話を通じて、本人が、自分の中の詰まりとの関係を、攻めでも放置でもなく、ゆっくり整え直していくための言葉を、揃えていきます。一気に変える必要はありません。今日の場面に対する距離を、少しずらせるところから、十分です。
第2話への接続
次回は、感謝のしすぎが、かえって相手との距離を作ってしまう場面を扱います。「ありがとう」が言えない本人の話のあとに、「ありがとう」を言いすぎてしまう本人の話を置くのは、矛盾のように見えますが、二つは、表裏の関係にあります。
本シリーズは第3話まで無料、その後は会員限定です。次回からも、本人を責めずに、関係の側を見ていきます。