寂しさと解放は、同時に動く
第2話は、子の独立後の本人の中で、寂しさと、解放感が、同時に動く構造を、軽く整理していきます。本シリーズの本人の中で、子の独立後の感情は、しばしば、寂しさ一色でも、解放感一色でも、ありません。本人の中で、寂しさが動いた直後に、軽い解放感が動き、解放感が動いた直後に、軽い寂しさが、また動く。こうした感情の同居が、子の独立後の本人の中で、しばしば動いています。
「寂しい」と「解放されて軽い」は、本人の中で、矛盾するように、感じられます。本人の中で、両方が同時に動いているとき、本人の中で、しばしば、「自分の感情は、どちらが本当なのか」と、本人の中の感情を、整理しようとする動きが、起きます。第2話で、本人の中で渡しておきたいのは、「両方が本当である」という姿勢です。寂しさも、解放感も、両方が、本人の中で、本当に動いている感情です。
本人の中で、こう短く言葉を渡してください。「寂しさと解放は、同時に動く。両方が本当である。どちらかに、本人の中で、整理する必要はない」。この内側の言葉が、子の独立後の本人の中の感情の動きを、わずかに、本人にとって、扱いやすくします。
解放感の中の、軽い罪悪感
子の独立後の本人の中で、解放感が動いたときに、本人の中で、しばしば、軽い罪悪感が、後から動きます。「自分は、子の独立を、解放として感じてしまった。これは、親として、適切な感情なのだろうか」「子に対して、申し訳ない気持ちが、動く」、こうした内側の声が、本人の中で、軽く動きます。
この罪悪感は、本人の中で、深く扱う必要は、ありません。子育ては、本人の暮らしの中で、長い時間と、大きなエネルギーを、本人から要請してきた役割です。その役割が、子の独立とともに、本人の暮らしの中から、軽くなっていく。そのことに対して、本人の中で、解放感が動くのは、極めて自然な反応です。本人の中の解放感は、本人が、子を愛していなかった、ということを、意味しません。
本人の中で、こう短く言葉を渡してください。「自分の中の解放感は、自分の中の子への愛とは、矛盾しない」。この内側の言葉が、本人の中の解放感への、罪悪感を、わずかに軽くします。距離を取り直す自由 でも、矛盾する感情の同居の話を扱っています。
「子の独立を、喜べない自分」を、責めない
第2話の中で、もうひとつ、本人の中で軽く扱っておきたいのが、「子の独立を、十分に喜べない自分」を、本人の中で責める動きです。子の独立は、社会的には、めでたい出来事として、扱われます。本人の周囲の人々は、本人に対して、「お子さん、自立されてよかったですね」「これからは、ご自分の時間を、楽しんでください」と、軽く声をかけてきます。
これらの言葉が、本人の中で、本人の中の感情を、「喜び」の方向に、軽く押してきます。本人の中で、喜びが、十分に動かない場合、本人の中で、「自分は、子の独立を、喜べていない。親として、何かが、欠けているのではないか」と、本人を責める動きが、起きやすくなります。
本人の中で、軽く言葉を渡してください。「子の独立を、十分に喜べないことは、親として、欠けている、ということを、意味しない」。喜びは、本人の中の感情のひとつであり、本人の中で、必ず動かなければならない感情では、ありません。本人の中で動いている感情を、本人が、軽く認めること。それが、本シリーズの基本姿勢です。
感情の波に、軽く乗る
子の独立後の本人の中の感情は、一日の中で、また、一週間の中で、また、数ヶ月の中で、波のように、上下していきます。寂しさが強い日もあれば、解放感が強い日もある。何も感じない日もあれば、両方が、強く同時に動く日もある。これは、本人の中の異常では、ありません。子の独立後の、極めて自然な感情の動き方です。
本人の中で、この波を、無理に、平らに整えようとしないでください。波を平らに整えようとする動きが、本人の中で、新しい疲労を、生みます。波が来た日には、波が来た、と本人の中で軽く認める。波が引いた日には、波が引いた、と本人の中で軽く認める。それで、十分です。
波が、本人の中で、強く長く続いている場合は、本シリーズの第10話で、軽く触れている専門家領域への相談を、本人の中で、軽く検討してください。本人の中で、軽い気分の落ち込みが、二週間以上続いている場合、軽い睡眠の乱れが、二週間以上続いている場合、これらは、相談の対象になりうる、軽い目安です。休んでも回復しない疲れ でも、感情の波の扱い方を扱っています。
解放感を、過度に「楽しもう」としない
子の独立後の本人の中で、解放感が動いたときに、本人の周囲から、しばしば、「これからは、ご自分の時間を、楽しんでください」「夫婦で、旅行に行ったらいいですよ」「趣味を、始めてみませんか」、こうした言葉が、本人にかけられます。これらの言葉も、本人の周囲からの、自然な祝意の言葉です。
本人の中で、これらの言葉を、過度に、本人の中で取り込まないでください。本人の中の解放感を、無理に、「楽しみ」の方向に、本人が動かそうとすると、本人の中の解放感が、新しい役割の感覚に、変わっていきます。「子の独立後の時間を、楽しまなければならない」という、新しい役割が、本人の中に、入ってきます。この新しい役割が、本人の中の解放感を、結局、消してしまいます。
本人の中の解放感を、本人の中で、軽く、ただ持っていてください。新しい趣味を始める必要も、夫婦で旅行に行く必要も、本人の中の感情として、強く動いていなければ、いまの段階では、ありません。本人の中の解放感が、本人の中で、自然に、何かを始める動きにつながったときに、本人がそれに乗ればいい。本シリーズは、本人に、解放感の「使い方」を、押し付けません。
夫婦やパートナーとの感情のずれ
本人と、本人のパートナーとが、子の独立後の感情に、わずかにずれを持つことが、しばしば、あります。本人の中で寂しさが強く動いている時期に、パートナーの中では、解放感が強く動いている。あるいは、その逆。両者のあいだの、感情のずれが、本人の中で、軽い違和感として、動きます。
このずれは、本人と、本人のパートナーとが、子育てに対して、異なる関わり方を、長い時間の中で、動かしてきた結果です。子育ての中の役割が、本人と、パートナーとで、わずかに違えば、子の独立後の感情の動き方も、わずかに違って、当然です。両者の感情の動き方を、本人の中で、揃えようとしないでください。
本人の中で、こう短く言葉を渡してください。「自分と、パートナーの感情は、別の動き方をしている。揃える必要はない。両方が、それぞれの動き方の中で、本当である」。この内側の言葉が、本人と、本人のパートナーとの関係を、子の独立後の時期に、わずかに緩めます。第4話「夫婦の会話が消えた時期」で、より詳しく扱っていきます。
「忙しさ」で、感情を埋めようとしない
子の独立後の本人の中で、しばしば動くのが、「忙しさで、寂しさを埋める」という動きです。子の独立で、本人の暮らしの中の役割が、軽くなったタイミングで、本人は、新しい仕事の役割や、新しい家事の役割や、新しい地域活動の役割を、本人の中で、積極的に引き受けようとする場合があります。
新しい役割を引き受けること自体は、本シリーズは、否定しません。本人の中で、新しい役割が、本人の暮らしを、軽く豊かにする場合は、それが、本人にとって、有効な選択です。一方で、本人の中の寂しさを、新しい忙しさで、埋めようとする動きが、本人の中で動いている場合は、軽く立ち止まってください。忙しさで埋めた寂しさは、忙しさが軽くなった瞬間に、本人の中で、より強く、動き始めます。
本人の中で、軽く問いを置いてください。「自分が、いま、引き受けようとしている新しい役割は、本人の中の暮らしを軽く豊かにするための役割なのか、本人の中の寂しさを埋めるための役割なのか」。両者の境目は、本人の中で、明確に区別できないことが、しばしばあります。完全な区別を、本人の中で求めないでください。境目の存在を、本人の中で、軽く意識しておくこと。それだけで、十分です。役に立たない時間の価値 でも、忙しさで埋めない時間の話を扱っています。
感情に「名前」を、急いでつけない
子の独立後の本人の中で、動いている感情に対して、本人がしばしば動かすのが、感情に名前をつける動作です。「これは寂しさだ」「これは虚無感だ」「これは解放感だ」「これは空の巣症候群だ」、こうした名前を、本人の中で動いている感情に、本人が、無意識のうちに、貼っていきます。
名前をつけること自体は、本人の中の感情を、本人の中で扱いやすくする効果が、軽くあります。ただ、急いで名前をつけることは、本人の中の感情の質を、固定してしまう副作用も、あります。本人の中の感情は、本人の中で、時間とともに変化していきます。早い段階で名前をつけてしまうと、変化していく感情を、本人の中で、最初の名前のままで扱い続けてしまう、ということが起きます。
本人の中で、子の独立後の感情を、急いで名前で固めないでください。「なんとなく、こういう感じ」「軽く動いている、何か」、この程度の、ぼんやりした扱いの中で、感情を、本人の中で、しばらく抱えてみてください。ぼんやりした扱いの中で、感情は、本人の中で、自然に、変化していきます。
子の独立は「失われた」のではなく「形を変えた」
子の独立後の本人の中で、しばしば動くのが、「自分は、子を失った」という、強い喪失感の言葉です。「子を失った」という言葉は、本人の中の感情の強さを、本人が言葉として表現するときに、便利な言葉です。ただ、この言葉が、本人の中で繰り返されると、子の独立後の本人と子との関係を、本人の中で、過度に重く位置づけてしまう副作用が、あります。
子の独立は、本人の中で、子を失った、という出来事では、ありません。子は、本人とは別の場所で、本人とは別の暮らしを、始めただけです。本人と子の関係は、形を変えて、続いていきます。本人の中で、「子を失った」という言葉を、別の言葉に、軽く置き換えてみてください。「子との関係の形が、変わった」「子と暮らす日々が、終わった」「子の独立した暮らしが、始まった」、こうした言葉のほうが、本人の中の現実を、より正確に、軽く扱う言葉です。
もちろん、本人の中で「子を失った」という感覚が、本人の中で、強く動く瞬間は、あります。その瞬間の感覚自体を、否定する必要は、ありません。感覚と、言葉とを、本人の中で、軽く切り分けて持つこと。感覚は感じたまま、言葉だけは、より正確な言葉に、本人の中で置き換えていく。これが、第2話の最後の提案です。
第2話のまとめと、第3話への橋
第2話を、束ねます。子の独立後の本人の中で、寂しさと解放感は、同時に動く構造を持つこと、両方が本人の中で本当の感情であることを、軽く扱いました。解放感の中の軽い罪悪感を、深く扱わない姿勢を、本人の中に渡しました。「子の独立を喜べない自分」を責めない姿勢を、本人の中に置きました。感情の波に、軽く乗る姿勢を、本人の中で確認しました。解放感を、過度に「楽しもう」としない姿勢を、本人の中に渡しました。夫婦・パートナーとの感情のずれを、揃えようとしない姿勢を、本人の中で軽く扱いました。忙しさで感情を埋めようとする動きへの、軽い注意を、本人の中に置きました。
第3話では、「役割が抜けたあとの自分」を扱います。親としての日常の役割が、本人の暮らしの中から抜けたあと、本人の中で、何が残るのか、何が新しく動き始めるのか、これを、第3話で、軽く整理していきます。第3話は、本シリーズの無料公開の最終回です。
今回のまとめ
- 寂しさと解放は、同時に動く。両方が本当である。整理する必要はない
- 解放感の中の罪悪感は、深く扱わなくてよい。解放感は、子への愛と矛盾しない
- 「子の独立を喜べない自分」を、責めない
- 感情の波を、無理に平らに整えようとしない
- 解放感を、過度に「楽しもう」としない。新しい役割を急いで作らない
- パートナーとの感情のずれは、揃えようとしない
- 忙しさで寂しさを埋めようとする動きに、軽く意識を向ける