子の部屋が静かになった日

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子の独立で部屋が静かになった日の感覚を扱う導入回。全10話の目次つき。

子の部屋の静けさは、寂しさと安堵の混ざった音です。

子の部屋が静かになった日

静かになった子の部屋の前で、足が止まる

本シリーズ「子どもが家を出る・出ない、空の巣のあとで」を、ここから始めます。本シリーズの読者は、子の進学、子の就職、子の結婚、こうした出来事の中で、家の中の子の部屋が、静かになった本人です。あるいは、子は独立していないものの、子との距離が、暮らしの中で、少しずつ広がっている本人も、含めます。本シリーズの本人は、年代として、四十代半ばから、六十代半ばの本人を、軽く想定しています。

第1話は、子の部屋が静かになった、最初の日のことを、扱います。子が、進学先や就職先や結婚先へ、本人の家を出ていった、その日。あるいは、本人がふと、子の部屋の前を通ったときに、部屋の中の音が、明らかに減っていることに、気づいた日。本人の中の、その日の感覚を、本シリーズの導入として、軽く言葉にしていきます。

本人の中で、その日、足が止まったのは、なぜでしょうか。本人の中で、はっきりした悲しみが、動いたわけでは、ないかもしれません。子の独立は、本人の中で、長く準備してきた出来事でもあり、子の側から見れば、喜ばしい出来事でもあります。それなのに、本人の中で、何か、軽く立ち止まる感覚が、動いた。第1話は、その感覚を、本人の中で、軽く言葉にしていく回です。

「空の巣症候群」という言葉を、軽く受け止める

子の独立後の、本人の中の感情の動きを、世の中では、「空の巣症候群」と呼んでいます。本人の中で、この言葉を聞いたことが、すでにあるかもしれません。空の巣症候群は、本人の中で、寂しさ、虚無感、軽い気分の落ち込み、生きがいの一時的な不在、こうした感覚が、子の独立をきっかけに、動く現象を、まとめて呼ぶ言葉です。

本シリーズは、この言葉を、本人の中で、過度に重く受け止めることを、推奨しません。「空の巣症候群」という言葉が、本人の中の感情に、過度な医療的なラベルを貼ってしまうことが、本人の中の感情の動きを、かえって、不自然に固定する場合が、あります。本人の中の、子の独立後の感情の動きは、多くの本人にとって、暮らしの中の、自然な反応の範囲の中の現象です。

同時に、本人の中で、この感情の動きが、明らかに強く、明らかに長く続いている場合、本シリーズの最終話で、軽く触れている専門家領域への相談が、有効な場合も、あります。第1話の段階では、本人の中の感情の動きを、過度に重くも、過度に軽くも、扱わない姿勢で、本シリーズを始めていきます。

本人の中の「寂しさ」の質を、軽く確かめる

子の部屋が静かになった日の、本人の中の寂しさを、軽く、本人の中で確かめてみてください。本人の中の寂しさは、どのような質の寂しさでしょうか。子の存在自体への寂しさでしょうか。子が、もうこの家の中で日常を過ごさない、その事実への寂しさでしょうか。あるいは、本人が、親としての日常的な役割を、もう動かさなくなった、その変化への寂しさでしょうか。

寂しさの質を、本人の中で、軽く区別しておくことは、本シリーズ全体の中で、繰り返し有効に動きます。本シリーズは、第2話以降で、寂しさと解放の同居、役割の終わり、夫婦の会話の変化、子に依存していた自分、こうした主題を、順番に扱っていきます。第1話の段階で、本人の中の寂しさの質を、軽く感じておくことで、第2話以降の言葉が、本人の中で、より軽く動きます。

もちろん、本人の中で、寂しさの質を、明確に言葉にする必要は、ありません。「なんとなく、寂しい」「なんとなく、軽い気分の落ち込みが、動いている」、この程度の本人の中の感覚で、第1話の段階では、十分です。本シリーズは、本人の中の感情を、言語化する圧を、本人にかけません。暗い時間の扱い方 でも、感情を言語化しない自由の話を扱っています。

子の独立は、本人にとって「初めての経験」である

本人の中で、軽く意識しておいてほしいのが、こうです。子の独立は、本人にとって、人生で初めての経験である、という事実です。本人の中で、子育ては、長い時間をかけて、本人の暮らしの中の中心の役割の一つとして、組み込まれてきました。その役割が、子の独立とともに、本人の暮らしの中から、抜けていく。この経験は、本人の中で、初めての経験です。

初めての経験に対して、本人の中で、すぐに、適切な扱い方が、見つかるとは、限りません。本シリーズは、本人の中で、子の独立への扱い方を、本人がすぐに見つけられない、その状態を、本人の中で、軽く許容します。本人の中で、子の独立後の数週間、数ヶ月、ときに数年の間、軽い揺らぎが続くことは、極めて自然な反応の範囲です。

本人の中で、「自分は、なぜ、子の独立にうまく対処できないのか」と、本人を責める内側の声が、動くかもしれません。この声に、本人の中で、深く取り合わないでください。本シリーズが、本人の中で軽く渡しておきたいのは、「うまく対処できなくて、当然」という姿勢です。休んでも回復しない疲れ でも、自分を責めない姿勢の話を扱っています。

「親であった日々」は、終わっていない

子の部屋が静かになった日に、本人の中で、しばしば動くのが、「自分の親であった日々は、もう終わった」という感覚です。この感覚は、半分は正しく、半分は正しく、ありません。子と一緒に暮らした、日常的な親としての役割は、確かに、形を変えていきます。子の食事の用意、子の学校行事、子の生活上の世話、こうした日々の役割は、子の独立とともに、本人の暮らしの中から、抜けていきます。

一方で、本人と子との関係は、子の独立後も、続いていきます。本人と子は、本人が亡くなるまで、あるいは、子が本人より先に亡くなるまで、親と子という関係の中に、あります。本シリーズの第8話で、本人の中で、より詳しく扱っていきますが、子の独立は、親役の終わりではなく、親役の形の変化です。

第1話の段階では、本人の中で、こう短く言葉を渡してください。「自分の親であった日々は、形を変えていく。完全に終わるわけではない」。この内側の言葉が、子の部屋が静かになった日の、本人の中の感覚を、わずかに緩めます。完全な終わりではない、という余地が、本人の中にあるだけで、本人の中の寂しさは、わずかに軽くなります。

本シリーズが、本人に渡す姿勢

本シリーズが、全10話を通じて、本人の中に軽く渡していく姿勢を、第1話で、軽く整理しておきます。本シリーズは、子の独立後の本人の暮らしを、寂しさと解放の同居として、扱います。寂しさだけを取り出して、本人の中で深めていくことも、解放だけを取り出して、本人の中で前向きにすることも、本シリーズの目的では、ありません。

本シリーズは、本人の中の感情を、無理に整理しません。本人の中で、寂しさが動いた日には、寂しさが動いた、と本人の中で軽く言葉にする。本人の中で、解放感が動いた日には、解放感が動いた、と本人の中で軽く言葉にする。両方が同時に動く日には、両方が同時に動いた、と本人の中で軽く言葉にする。これが、本シリーズの基本姿勢です。

本シリーズは、巣立たない家族の存在も、本人の中で、軽く扱います。第10話で、子が本人の家を出ない選択をした場合、あるいは、子が独立後に本人の家へ戻ってきた場合、こうした状況の中の本人の暮らしを、本シリーズの中で、扱っていきます。本シリーズの読者の中には、子が独立した本人もいれば、子が独立していない本人もいる、という前提を、本シリーズは、軽く維持し続けます。

「めでたさ」と「自分の中の感覚」を、切り分けて持つ

子の独立は、本人の周囲では、しばしば「めでたい出来事」として、扱われます。本人の親戚、本人の職場の同僚、本人の友人、これらの本人の周囲の人々は、本人に対して、「お子さん、独立されたんですね。おめでとうございます」「これで、ご夫婦ふたりの時間ですね」と、軽く声をかけてきます。これらの言葉は、本人の周囲からの、自然な祝意の言葉です。本人の周囲に、悪意は、ありません。

一方で、本人の中では、これらの「めでたさ」の言葉と、本人の中の実際の感覚とが、わずかにずれる場面が、しばしばあります。本人の周囲が、子の独立を「めでたさ」として、本人に投げかけてくる一方で、本人の中では、軽い寂しさや、軽い虚無感や、軽い揺らぎが、動いています。本人の中の感覚と、周囲の言葉とが、ずれているとき、本人の中で、自分の感覚への、軽い不信が、動きやすくなります。「自分は、なぜ、めでたい場面で、こんな感覚を動かしているのだろう」と、本人の中で、本人を責める声が、軽く動きます。

本シリーズの第1話で、本人の中で軽く渡しておきたいのは、こうです。「めでたさ」と「自分の中の感覚」は、切り分けて持つ。子の独立が、めでたい出来事であることは、社会的な事実として、本人の中で受け止めて、本人の周囲に対しては、軽い祝意の言葉を返す。同時に、本人の中の、寂しさや揺らぎは、本人の中の感覚として、本人の中で、軽く認める。両者は、矛盾しません。両者を、本人の中で、切り分けて持つことが、本人の暮らしを、過度に揺らさない姿勢に、つながります。

本シリーズの読み方

本シリーズは、第1話から第10話まで、順番に読むことを、必須としません。本人の暮らしの中で、いま、本人にとって、軽く触れたい主題から、読み始めても、構いません。本シリーズの各話は、相互に軽く関連していますが、各話単体でも、本人の中で、軽く動くように、書かれています。寂しさが強く動いている時期には、第1話と第2話を、軽く繰り返し読む。夫婦の関係に、軽い揺らぎが動いている時期には、第4話と第9話を、軽く読む。本人の暮らしの状況に応じて、本人が選んでください。

本シリーズの中の言葉が、本人の暮らしの中で、すぐに役立つとは、限りません。本シリーズの言葉が、本人の中で、ゆっくり動き始めるまでに、数週間、数ヶ月、ときに数年の時間が、かかる場合も、あります。本シリーズは、本人の中で、急いで動くことを、本人に求めません。本人の中で、本シリーズの言葉が、本人の暮らしのある瞬間に、軽く思い出されれば、それで十分です。

第1話のまとめと、第2話への橋

第1話を、束ねます。子の部屋が静かになった日の、本人の中の感覚を、本シリーズの導入として、軽く言葉にしました。「空の巣症候群」という言葉を、過度に重くも、過度に軽くも、扱わない姿勢を、本人の中に置きました。本人の中の寂しさの質を、軽く確かめる姿勢を、本人の中に渡しました。子の独立は、本人にとって、初めての経験である、という事実を、本人の中で軽く意識しました。親としての日々は、完全に終わるのではなく、形を変えていく、という余地を、本人の中に置きました。本シリーズが、寂しさと解放の同居を扱うこと、巣立たない家族も含めて扱うことを、本人の中で軽く共有しました。

第2話では、「寂しさと解放が同時にある」を扱います。子の独立後の、本人の中の感情の中で、寂しさと、解放感が、同時に動く構造を、第2話で、軽く整理していきます。本人の中で、解放感が動いたことに対する、本人の中の罪悪感の動きも、第2話で扱います。

第1話の内容を、本人の暮らしの中で試すときは、子の独立後の自分の感情を、無理に整理しようとしないでください。本人の中で動いている感情を、本人の中で、軽く認める姿勢が、本シリーズの第1話の、最低限の提案です。親戚との適切な距離 でも、家族の関係の中の感情の扱い方を、別の角度から扱っています。

今回のまとめ

  • 本シリーズは、子の独立後の本人の暮らしを、寂しさと解放の同居として扱う
  • 「空の巣症候群」は、過度に重くも、過度に軽くも、扱わない
  • 本人の中の寂しさの質を、軽く確かめておく(子自身か、日常の役割か、変化そのものか)
  • 子の独立は、本人にとって、人生で初めての経験。うまく対処できなくて当然
  • 親としての日々は、完全に終わるのではなく、形を変えていく
  • 巣立たない家族の在り方も、本シリーズの中で扱っていく

シリーズ

子どもが家を出る・出ない、空の巣のあとで10話

第1回 / 全10本

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子の部屋が静かになった日

子の部屋の静けさは、寂しさと安堵の混ざった音です。

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