怖さの種類を分ける

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死の怖さを「自分の死」「大切な人の死」「死後の不明」などに分けて扱います。

怖さを分けると、抱えやすさが少し変わります。

シリーズについての注意

このシリーズは「死そのもの」を考える不安を扱うもので、自死念慮(自分を傷つけたい・消えたい気持ち)を扱うものではありません。本人の中に、自分を傷つけたい、消えてしまいたい、という気持ちが、強くある場合は、 「消えてしまいたい」気持ちのシリーズ を、お読みください。緊急時には、よりそいホットライン(0120-279-338)、いのちの電話(0570-783-556)が、利用できます。

「死の怖さ」を、ひとくくりにしない

前回は、夜中に、死を思う体験を、入り口として、扱いました。今回は、死の怖さを、種類に、分けて、扱います。本人が「死が、怖い」と、感じるとき、その中身は、いろいろな怖さの、混ざりあいです。混ざったままだと、本人は、整理しづらく、不安が、強く、なります。

怖さを、種類に、分けると、本人の中の、不安の輪郭が、見えてきます。輪郭が、見えると、抱えやすさが、変わります。本記事は、その分け方の、いくつかを、提案します。

「自分の死」の怖さ

死の怖さの、一つ目は、本人自身の死への怖さです。「自分が、いつか、いなくなる」という事実への怖さ。本人が、毎日、見ている世界が、本人の知らないところで、続いていく、という想像への怖さ。これは、もっとも、基本的な、死の怖さです。

自分の死への怖さは、年齢を、重ねるにつれ、強くなる本人と、薄くなる本人が、います。これは、本人の体験や、人生の状態に、よって、変わります。一様では、ありません。

「死の過程」の怖さ

「自分の死」の怖さの中に、さらに、細かい種類が、あります。「死の過程」の怖さは、死ぬまでの、痛みや、苦しみへの怖さです。病気で、苦しみながら、死ぬのは、嫌だ。事故で、急に、死ぬのは、嫌だ、と、本人が、想像する怖さです。

これは、死そのものではなく、死に至るまでの、過程への怖さです。死そのものより、過程の方が、本人にとって、具体的に、怖い場合が、多いです。死は、想像が、止まる地点ですが、過程は、想像できるからです。

「消滅」の怖さ

「自分の死」の怖さの、別の側面が、「消滅」への怖さです。本人が、いま、考え、感じ、見ている、その主体が、消える、という現象への怖さです。本人の意識が、なくなることへの想像が、本人を、強く、不安にします。

これは、抽象的な怖さです。本人が、いない世界を、本人が、想像する、というのは、原理的に、不可能です。想像できないものを、本人が、想像しようとして、不安が、深まります。

「大切な人の死」の怖さ

死の怖さの、二つ目は、本人にとって、大切な人の死への怖さです。親、配偶者、子ども、兄弟、友人、と、本人が、関わってきた人の死への怖さです。自分の死より、こちらの怖さの方が、強い本人も、多いです。

大切な人の死は、本人が、生きていく中で、実際に、経験します。自分の死は、自分は、体験しませんが、他人の死は、本人が、残る側として、体験します。残された後の、本人の人生を、想像する怖さでも、あります。

「親の死」の怖さ

大切な人の死の中で、もっとも、多くの本人が、抱える怖さが、親の死への怖さです。親は、本人にとって、最初の保護者であり、世界の安心の、原点でした。親が、いなくなる世界は、本人にとって、初めての世界です。

親の死は、本人の人生の、大きな転換点です。 第4話 看取りの想像 で、より、深く、扱います。 介護前夜のシリーズ とも、関連します。

「配偶者の死」の怖さ

配偶者の死への怖さも、本人にとって、強い怖さの一つです。配偶者は、本人の大人の人生を、共に、過ごしてきた相手です。配偶者が、いない人生は、本人にとって、想像しづらい、未知の領域です。

特に、長く、結婚生活を、続けてきた本人にとって、配偶者の死への怖さは、自分の死への怖さと、同等か、それ以上に、強いことが、あります。「残されたら、自分は、どう、生きるのか」という問いが、本人の中に、生まれます。

「子の死」の想像

子のいる本人にとって、子の死は、想像することすら、避けたい怖さです。「親より、先に、死ぬ子」は、本人の中で、もっとも、受け入れがたい喪失です。これを、想像することは、本人を、強く、不安にします。

子の死を、想像してしまった本人を、本人が、責める必要は、ありません。想像することは、本人の意思では、止められない働きです。想像が、現実を、引き寄せるわけでも、ありません。

「死後の不明」の怖さ

死の怖さの、三つ目は、死後の世界が、わからないことへの怖さです。死んだ後、本人は、どう、なるのか。意識は、消えるのか。それとも、別の形で、続くのか。これらは、誰にも、わかりません。

わからないことへの怖さは、本人の中で、強い不安に、なります。人間は、わからないことを、苦手とします。死後の不明は、本人の人生で、もっとも、わからないものの、一つです。

「無」への怖さ

死後の不明の、一つの形が、「無」への怖さです。死んだ後、何もない、という想像への怖さです。意識も、感覚も、何もない状態が、永遠に、続く、という想像です。本人にとって、これは、想像しづらく、不安を、生みます。

本記事は、「無である」と、断定する立場でも、「無ではない」と、断定する立場でも、ありません。本人が、どちらに、傾くかは、本人の中の、自由です。

無料公開はここまで、次回からは会員限定です。

本シリーズの第4話以降は、会員限定の公開です。第3話まで、無料で、お読みいただけます。会員になっていただくと、過去シリーズの会員限定回も、すべて、お読みいただけます。

「未完成」の怖さ

死の怖さの、四つ目は、人生の「未完成」への怖さです。「やりたいことを、できないまま、死ぬのは、嫌だ」「子どもの成長を、見届けないまま、死ぬのは、嫌だ」「親に、恩返しを、できないまま、死ぬのは、嫌だ」と、本人が、人生の中の、未完成な部分への、執着を、感じる怖さです。

これは、自分の死そのものへの怖さとは、別の質の怖さです。死そのものより、人生の途中で、いろいろなことが、残されることへの怖さです。 予期不安シリーズ 未完成 の発想とも、関連します。

怖さの種類を分ける

「迷惑をかける」怖さ

死の怖さの、五つ目は、自分の死で、周囲に、迷惑を、かけることへの怖さです。葬儀、相続、家の片付け、と、死後に、家族が、する作業を、想像する怖さです。「家族に、負担を、かけたくない」と、本人が、思います。

これは、死の手前の、実務への怖さです。死そのものより、現実的で、対処の方向が、見える怖さでも、あります。生前整理、遺言、財産の整理、と、対処の方法が、いろいろ、あります。第7話で、扱います。

「孤独な死」の怖さ

死の怖さの、六つ目は、「一人で、死ぬこと」への怖さです。誰も、看取らない、一人の部屋で、死を、迎えることへの怖さです。これは、本人の人生の、最後の瞬間に、誰も、いない、という想像への、不安です。

孤独な死の怖さは、本人が、いま、人とのつながりの中で、生きていないと、感じている場合に、強くなることが、あります。逆に、本人が、つながりの中で、生きているなら、この怖さは、少し、薄くなります。

「忘れられる」怖さ

死の怖さの、七つ目は、死んだ後、本人が、忘れられることへの怖さです。自分の存在が、誰の記憶にも、残らない、という想像への怖さです。これは、本人の存在の、価値が、消えてしまう、という感覚に、つながります。

けれど、忘れられない人は、いません。歴史上の有名人でも、何十年、何百年と、経つと、忘れられていきます。忘れられること自体は、人間の自然な過程です。これを、認めることが、本人の中の、執着を、軽くします。

「複数の怖さ」が、混ざる

本人が、「死が、怖い」と、感じるとき、上記の、複数の怖さが、本人の中で、混ざっています。自分の死、家族の死、死後の不明、未完成、迷惑、孤独、忘却、と、いろいろなものが、同時に、来ます。これが、本人を、強く、不安にする原因です。

混ざったまま、扱うと、本人の中で、整理が、つきません。一つずつ、分けることが、第一の整理です。「いま、本人の中で、強く、来ているのは、どの怖さか」を、本人が、自分に、問います。

「強く、来ている怖さ」を、特定する

本人の中の、複数の怖さの中で、いま、強く、来ているのは、どれか。本人が、紙に、書き出して、見ることも、できます。「自分の死そのものより、親の死の想像が、強い」「死後の不明より、家族に、迷惑を、かける怖さが、強い」と、本人の中の、優先順位が、見えてきます。

これは、本人の中で、扱うべき怖さの、輪郭を、はっきりさせます。輪郭が、見えると、対処の方向も、見えてきます。

「対処可能」と「対処不可能」を、分ける

分けた怖さの中には、対処可能なものと、対処不可能なものが、あります。対処可能な怖さは、行動で、減らせます。家族に、迷惑を、かける怖さは、生前整理で、減らせます。孤独な死の怖さは、人とのつながりを、育てることで、減らせます。

対処不可能な怖さは、自分の死そのもの、死後の不明、と、本人の行動で、変えられないものです。これらは、対処ではなく、「ともに、生きる」対象です。両者を、分けることが、本人の中の、エネルギーの使い方を、整理します。

「対処可能な部分」から、扱う

対処可能な怖さから、本人が、扱い始めます。生前整理を、少しずつ、進める。家族との関係を、整える。人とのつながりを、育てる。これらが、本人の中の、不安の総量を、減らします。

対処可能な部分を、扱うことで、本人の中の、「何かを、している」という感覚が、生まれます。この感覚自体が、本人の不安を、軽くします。第8話で、暮らしを、変える人の例を、紹介します。

「対処不可能な部分」と、ともに、生きる

対処不可能な怖さは、消そうとしません。これらは、人間として、生きる以上、本人の中に、ある不安です。これらと、ともに、生きていく姿勢を、本人が、ゆっくり、育てます。

「ともに、生きる」とは、不安を、なくすことでは、ありません。不安が、ある中で、本人が、本人の生活を、続けていくことです。これは、技術というより、姿勢です。長い時間、かけて、本人の中に、育っていきます。

「種類分け」自体の効果

怖さを、種類に、分ける作業自体が、本人の中の、不安を、少し、軽くします。「漠然と、怖い」より、「親の死が、怖い」の方が、本人にとって、扱いやすい状態です。具体的になると、対処の方向が、見えるからです。

本記事を、読んだ本人が、自分の中の、怖さを、種類に、分ける時間を、持つことを、勧めます。すぐに、扱えなくても、構いません。種類に、分けて、見えるようにするだけで、十分です。

第3話への接続

次回は、死生観を、信仰なしで、持つ視点を、扱います。死の怖さと、付き合う上で、本人の中の、死生観が、ある程度、定まっていることが、助けに、なります。信仰を、持たない本人でも、死生観は、持てる、という発想を、整理していきます。

本記事についての注意(再掲)

このシリーズは「死そのもの」を考える不安を扱うもので、自死念慮(自分を傷つけたい・消えたい気持ち)を扱うものではありません。本人の中に、自分を、傷つけたい、消えてしまいたい、という気持ちが、強くある場合は、 消えてしまいたい気持ちのシリーズ を、お読みください。緊急時には、よりそいホットライン(0120-279-338)、いのちの電話(0570-783-556)が、利用できます。心療内科、精神科、カウンセラーへの相談も、有効です。

今回のまとめ

  • 「死が、怖い」の中身は、複数の怖さの、混ざりあいです。
  • 自分の死、大切な人の死、死後の不明、未完成、迷惑、孤独、忘却、と、いろいろな種類が、あります。
  • 怖さを、種類に、分けることで、本人の中の、不安の輪郭が、見えてきます。
  • 対処可能な怖さと、対処不可能な怖さを、分けます。
  • 対処可能な部分から、扱い始めると、本人の中の、不安の総量が、減ります。

シリーズ

死を考える夜10話

第2回 / 全10本

第1回 / 無料記事

夜中に死を思う

夜の死は、消したいというより、答えのない問いの形をしています。

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第2回 / 無料記事

怖さの種類を分ける

怖さを分けると、抱えやすさが少し変わります。

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第3回 / 無料記事

死生観は信仰がなくても持てる

死生観は宗教の持ち物ではなく、生きる人の道具です。

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第4回 / 会員向け

親を看取る想像が止まらない時期

看取りの想像は、愛情の働き方の一つです。

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第5回 / 会員向け

自分の死に方を考えてはいけないのか

考えることと、選ぼうとすることは違います。

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第6回 / 会員向け

死を語る場の少なさ

語れない死は、夜に集まります。

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第7回 / 会員向け

子・伴侶に何を残すか

残すものは、物より、ことばかもしれません。

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第8回 / 会員向け

死を意識して暮らしを変える人々

死は、暮らしの輪郭を引き直す筆にもなります。

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第9回 / 会員向け

老いと死を分けて考える

老いと死を分けると、対処できる範囲が見えてきます。

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第10回 / 会員向け

朝が来るまで持ちこたえる夜の手当て

夜は、朝までを生き延びれば十分な時間です。

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