「ルッキズム」という言葉を借りる
容姿への気疲れを、本人の弱さの問題に縮めずに済ます言葉として、近年「ルッキズム」が使われるようになりました。見た目で人を評価したり、扱いを変えたりする社会の癖を指す言葉です。本記事では、この言葉を、攻撃道具ではなく、本人の状況を社会の側に置き直すための言葉として、使っていきます。
前回までの 鏡を見ない日 や 写真の自分への違和感 も、本人だけの問題ではなく、本人を取り巻く視線の問題でした。今回はその視線を「ルッキズム」という言葉で、いったん名前付けします。
名付けると責めの矛先が変わる
「私の容姿がおかしい」と感じていたものが、「容姿に厳しい社会の中で私が消耗している」と言い換えられると、責めの矛先が、自分から、自分を取り巻く構造へ、ずれます。これは責任転嫁ではなく、原因の所在を正しく置き直す作業です。
本人の容姿は、生まれや遺伝や加齢で変化していく、本人がほとんど選べない領域です。一方、その容姿に厳しい視線を向ける社会の癖は、変えうる構造です。名前を付けることで、変えられる場所が、見えやすくなります。
ルッキズムは女性だけの問題ではない
ルッキズムは、しばしば女性の容姿の問題として語られますが、男性、ノンバイナリーの人にも、別の形で重くかかっています。男性は「清潔感」「貫禄」「老けて見える/若く見える」、子どもは「かわいい/かわいくない」、シニアは「若く見える/老けて見える」。年齢と性別と立場で、要求の中身が変わるだけで、評価の構造は共通です。
つまり、ルッキズムは、特定の属性の人だけが直面するものではなく、ほぼ全員が、何らかの形で、当事者です。違うのは、その重さの感じ方と、人生のどの局面で噴き出すか、です。
美の基準は時代と場所で動く
美しいとされる体型、肌の色、顔立ち、髪型は、時代と地域で大きく変わります。100年前の美の基準、50年前の基準、10年前の基準、今の基準。どれもその時代に「正しい」とされたものですが、長期的には移り変わっていきます。
動くものを、固定された自分の評価基準として使うと、本人は、毎回、別の地点をゴールにして走らされます。基準が動くという事実を知るだけで、今の基準に追いつけないことへの罪悪感が、少しほどけます。
ルッキズムは経済と結びついている
美容業界、ファッション業界、フィットネス業界、医療美容業界。「足りないものを補う」という設計は、ビジネスの基本構造です。本人が「自分には足りない」と感じ続けることは、これらの産業の成立条件でもあります。
このことは、各産業を否定するためではなく、本人が向けられている広告や情報の背景を、知っておくため、です。本人が消耗しているのは、本人の中の自然な感情だけではなく、産業を含む仕組みからの働きかけでも、あります。
「自己責任化」されやすい構造
ルッキズムは、「あなたが努力すれば変えられる」というメッセージとセットになりがちです。本人が太っているのは食生活のせい、肌が荒れているのは睡眠のせい、髪が薄いのは生活習慣のせい。本人の選択の問題に縮めて語られます。
けれど、容姿は、遺伝、年齢、ホルモン、病気、薬の副作用、貧困、過労、いろんな要因の合算で決まっています。自己責任に縮めることは、本人を二重に追い込みます。本人の容姿の悩みを、自己責任の言葉で説明されたら、いったん耳を遠ざけて、構いません。
本人の感じ方と社会の構造を分けない
「ルッキズムが悪い」と理屈で分かっても、本人の鏡を見るしんどさは、すぐには消えません。これは、本人の理解が浅いからではなく、社会の中で長く積み重なった視線が、本人の内側に降り積もっているからです。
外側の構造と、内側の感じ方は、別の速度で変わります。社会の言葉が変わっても、本人の感覚が変わるには、時間がかかります。本シリーズの後半では、この「内側を変える練習」を、扱っていきます。
「美しさが内面ににじむ」という言葉の罠
「外見ではなく、内面が大事」「内面が美しい人は外見も美しい」。優しさの装いで語られるこれらの言葉は、しばしば、本人の容姿の悩みを、ないことにしてしまいます。内面と外見を結びつけてしまうと、容姿に悩む本人が、内面まで否定されたように感じます。
内面は内面で価値があり、外見は外見で本人を取り巻く現実があります。両者は別の話で、安易につなげないほうが、本人の悩みを、ちゃんと残しておけます。
ルッキズムを言葉にする練習
日常で出会う場面を、ルッキズムの言葉で記述してみる練習があります。「今日の会議で、誰々さんの服装の話だけが盛り上がった」「テレビでアナウンサーの体型が話題になっていた」「広告のモデルが全員痩せていた」。観察として書き出します。
書き出すだけで、「あ、これは構造の問題だ」と分かる場面が、増えていきます。本人の感覚を裏打ちする観察が、本人の中にたまっていきます。これが、本人にとっての地盤になります。
ルッキズムを語ると孤立しやすい
「そういうこと言うとめんどくさい人だと思われるよ」と、職場や家族の場で釘を刺された経験を持つ読者がいます。ルッキズムの話は、場の空気を変えるため、嫌がられがちです。
本人が、その場で毎回声を上げる必要はありません。心の中で名前を付けるだけで、本人の負荷は変わります。声に出すか出さないかは、その日の体力と、場との安全度で、決めていいです。
近しい人にも全部は理解されない
家族や恋人やパートナーに、ルッキズムの話をすると、「考えすぎだよ」「自意識過剰だよ」と返されることがあります。これは、相手が悪意で言っているのではなく、相手が同じ視線にさらされてこなかったから、想像が及ばないだけです。
分かってもらえないこと自体が、本人の感覚が間違っていることを意味しません。全員に分かってもらう必要はなく、本人の感覚を裏打ちする少数の場が、どこかに一つあれば、十分です。
本人を傷つけた言葉のリストを作らない
ルッキズムを言葉にする練習を進めていくと、過去に本人を傷つけた言葉の記憶が、噴き出してくることがあります。誰々さんに言われた一言、家族からの長年のコメント、学校での出来事。これらを、リスト化して反復するのは、本人を再び傷つけます。
記憶として浮かんだら、書き留めるところまではしていい。ただし、その言葉を本人の中で反復しないように、ノートを閉じる、別のことに移る、と、線を引きます。リストは、相手を恨むためではなく、本人が自分の輪郭を取り戻すための、補助線です。
家族間で世代を超えてかかる圧
「お母さんも昔こうだった」「おばあちゃんも気にしていた」と、容姿への気疲れが、家族の中で何世代にもわたって受け継がれていることがあります。母娘間、父息子間、祖父母から孫へ。本人が背負っているのは、本人ひとりの悩みではなく、家族の中で続いてきた重さでもあります。
世代を超えて受け継がれてきたものは、本人の代で全部解くことはできません。けれど、本人の代で、次の世代に渡さない、と決めることはできます。これは、第8話の 子どもに容姿の言葉を渡さない練習 で、詳しく扱います。
「攻撃でも放置でもなく」を合言葉に
ルッキズムを言葉にすると、社会への怒りが噴き出すことがあります。怒りは正当ですが、怒りに飲まれると、本人が消耗します。逆に、社会への怒りを抑えるために、自分の感覚を放置することもあります。これも本人を消耗させます。
本シリーズの合言葉は、攻撃でも放置でもなく、です。怒るところは怒り、置くところは置き、観察するところは観察する。これらを混ぜずに、それぞれの場で、それぞれの動作を、選んでいきます。
関連するシリーズ
容姿に厳しい視線は、評価社会のもう一つの面でもあります。比較の章や、承認欲求のシリーズ も、本シリーズの背景として、合わせて読んでみてください。
また、ルッキズムを語ることへの場の空気は、職場や家庭での沈黙の問題とも地続きです。会議での沈黙の章 も、参考になります。
無料公開はここまでとして残しておくこと
本シリーズの無料公開は、ここまでです。ここまでで本人が手にしたものは、「鏡を見ない日が続く」のは自衛、「写真の自分」が違和感を生むのは仕組み、そして容姿の悩みは社会の側の名前を持つ、という三つの土台です。これだけでも、本人の中の責めの言葉が、わずかに減ります。
第4話以降は会員限定です。SNS補正、加齢、装い、家族の言葉、子どもへの伝達、美容医療、そして鏡の前で一秒長く立つ練習、と、より具体的な場面を、順に扱っていきます。本人の生活の中で取り入れやすい順に、整理しています。
ルッキズムは「悪意のない場面」で再生産される
悪意のあるからかいや差別的発言は、近年、社会の中で名前を持ち、注意されるようになっています。一方、ルッキズムが本人を消耗させる場面の多くは、悪意のない雑談、好意的なつもりのコメント、ほめ言葉の中に、紛れています。「今日きれいだね」「最近顔色いいね」「痩せたね」。意図は善意でも、本人にとっては、評価され続けている重みになります。
悪意がないからこそ、本人は反論しづらく、消耗が静かにたまっていきます。本シリーズで扱うのは、悪意のある場面だけではなく、こうした悪意のない場面の積み重ねの方です。日常の善意の中に、容姿への評価が、いかに当たり前に埋め込まれているか、を観察する目を、ここで育てておきます。
容姿の悩みは「許可されにくい悩み」
仕事の悩み、お金の悩み、人間関係の悩みは、社会的に話してよいとされる悩みです。容姿の悩みは、しばしば「贅沢な悩み」「自意識過剰」と扱われ、話す許可が降りにくい悩みです。きれいな人が悩めば「鼻につく」、そうでない人が悩めば「自分を分かっていない」と、どちらも責められがちです。
許可されない悩みは、本人の中で滞ります。本シリーズの存在意義の一つは、この許可されにくい悩みに、堂々と語る場を作ることです。本人が、ここまで読んでいる、ということは、本人は、自分の悩みに、自分で許可を出した、ということです。それだけで、すでに一歩進んでいます。
同じ言葉が誰から発せられるかで重さが変わる
「太った?」という同じ一言でも、医師から検診の場で言われるのと、職場の同僚から廊下で言われるのと、家族から夕食の席で言われるのと、本人の中での重みは、まったく違います。誰が、どの場で、どんな関係で、その言葉を発するか、によって、本人の受け取り方は変わります。
つまり、同じ言葉だから受け流せばいい、という単純化はできません。本人が消耗しているのは、特定の言葉そのものではなく、その言葉を発した関係と場の組み合わせです。本シリーズの後半で扱う「家族からの容姿コメント」は、この最も重い組み合わせの一つです。
第4話への接続
次回は、SNS補正と素の自分のずれを扱います。本人の鏡と写真の感覚を、もうひとつの装置であるSNSとの関係で、置き直していきます。
無料公開はここまで、次回からは会員限定です。
本記事についての注意
本記事は、ルッキズムという概念を生活の言葉として扱う読み物であり、社会学・法学・医学の正式な定義を代替するものではありません。容姿への嫌悪が強く生活に影響している場合、また、過去に容姿に関わるハラスメント・いじめを受けた記憶がよぎり苦しい場合は、精神科・心療内科や、地域の保健センター、公的相談窓口に相談してください。本記事は美容医療や痩身を推奨するものではなく、特定の容姿基準を肯定するものでもありません。
今回のまとめ
- ルッキズムは本人の状態を社会の側に置き直す言葉
- 名前を付けると責めの矛先が自分から構造へ移る
- 性別・年齢を問わず多くの人が当事者
- 美の基準は時代と地域で動く
- ルッキズムは経済構造とも結びついている
- 「自己責任化」されやすい構造を見抜く
- 外側と内側は別の速度で変わる
- 「内面が美しい人は外見も」の言葉に注意
- 日常をルッキズムの言葉で観察する
- 声に出すか出さないかは体力と場の安全で決める
- 家族間で世代を超える圧があることを知る
- 「攻撃でも放置でもなく」を合言葉にする
- ハラスメント記憶がよぎる場合は専門窓口へ