このシリーズが扱うこと、扱わないこと
容姿について悩む人の多くは、自分の感じ方が「気にしすぎ」なのか「ちゃんとした悩み」なのか、自分でも分からなくなっています。本シリーズは、容姿への気疲れを、性格の弱さや自尊感情の問題に縮めず、社会の側から押し寄せてくる視線と、それに対する日々の練習として、整理する10話です。痩身や個別の美容法を勧めることはしません。
同時にお伝えしておきたいのは、本シリーズは、摂食障害や身体醜形障害(BDD)といった医療領域の症状を扱うものではない、ということです。食事や鏡確認、外出制限に大きな影響が出ている場合は、精神科や心療内科、日本摂食障害協会などの専門窓口にご相談ください。本シリーズの言葉だけで抱え込まないでください。
鏡を見ない日が続くという状態
朝、洗面所に行きます。歯を磨き、顔を洗います。そのあいだ、鏡を、ほとんど見ません。視線を落としたまま、用事だけ済ませて、洗面所を出ます。気がつくと、丸一日、自分の顔をきちんと見ていない、ということが、続いています。
これは、忙しさからの省略ではありません。鏡の前に立つと、何かを判定されるような気持ちになる、その判定を毎日受けたくない、という、防御です。鏡を見ない日が続くのは、自分の容姿との関係が、もう以前と同じではない、という、合図かもしれません。
「見ない」は怠けではなく自衛
身だしなみを整えていないのではないか、自分に手をかけていないのではないか、と、自分を責める読者もいます。けれど、鏡を「見ない」のは、しばしば、見ると消耗するから、見ないことで一日のエネルギーを守っている、という、自衛の選択です。
朝のわずかな時間に、自分の顔の細部を点検して、足りない点を数えあげると、その日の出かける気力が、目に見えて削られます。鏡を見ない日が続くのは、本人が、無意識のうちに、その消耗から自分を守っている、ということでもあります。
鏡を避けはじめた時期に何があったか
鏡を避けはじめた時期を、思い返してみます。きっかけは、本人の容姿そのものの変化ではないことが多いです。誰かの何気ない一言、SNSで見た他人の顔、職場の写真撮影、加齢を感じた一瞬。外側からの視線が、自分の顔の見え方を、塗り替えてしまった瞬間が、あります。
つまり、鏡を見たくないのは、鏡が問題なのではなく、鏡越しに自分を見るときに、他人の視線が一緒に映り込んでしまうから、です。本人の顔は変わっていないのに、本人の顔を見るときの「見え方」が、変わっています。
SNSと鏡は別の装置である
鏡を見ないけれど、SNSで他人の顔は毎日見ている、という人もいます。これは矛盾ではなく、鏡とSNSが、本人にとって別の意味の装置になっている、ということです。鏡は自分を判定する場、SNSは他人を眺めて気を紛らわす場、と、役割が分かれています。
ただし、他人の顔を浴び続けていると、本人の顔の感じ方は、確実に上書きされていきます。鏡を避けながらSNSを見続ける時間は、長い目で見ると、本人の容姿への気疲れを、増やす方向に働きます。
「整えるべき」の声から距離をとる
世の中には、女性は美しくあるべき、男性は清潔感を持つべき、年齢に応じた装いをするべき、と、容姿への要求が、絶え間なく飛んできます。これらの声を、自分の声と区別するところから、容姿との関係の立て直しは、始まります。
整えたい、と本人が自分から思うのと、整えないと評価が下がる、と外から言われるのは、別のことです。前者は本人の選択ですが、後者は圧です。自分の内側の声と外側の圧を、いったん分けて聞く練習を、本シリーズの全体で重ねていきます。
「気にしすぎ」と言われてきた経験
容姿の悩みを誰かに話したとき、「気にしすぎだよ」「そんなことないよ」と返されて、それ以降、話せなくなった、という経験を持つ読者は多いです。励ましのつもりの言葉が、本人の感覚を、ないものにしてしまいました。
気にしすぎではないし、気にしなさすぎでもありません。気になっているという事実が、まず、ある。そこを否定せずに、なぜ気になるのか、何が気になるのか、を、本シリーズで丁寧に開いていきます。
鏡を見るのに必要なエネルギーが上がっている
以前は鏡を見るのに、特別なエネルギーは要りませんでした。今は、鏡の前に立つたびに、ひと呼吸、気合を入れないと見られない。これは、本人が弱くなったのではなく、鏡の前に立つことの「コスト」が、上がっているということです。
コストが上がっている原因は、容姿の変化、生活の変化、見られる頻度の変化、見られたあとの疲労、いろいろあります。原因は一つではないので、原因探しよりも先に、コストが上がっている事実を、いったん認めるところから始めます。
鏡の前で何を見ているか
鏡の前に立つとき、本人は、自分の顔全体を見ていません。よく見るのは、気になる一箇所です。目の下のたるみ、毛穴、シミ、髪の量、肌の色。その一箇所に視線が吸い込まれ、ほかの部分は視界から落ちます。
これは「部分注視」と呼べる状態で、本人の容姿への評価を、ますます厳しくしていきます。鏡で見ているのは、自分の顔ではなく、自分の弱点コレクションになっています。鏡を見ない日が続く背景には、この部分注視の疲労が、しばしばあります。
他人は本人の弱点を見ていないことが多い
本人が部分注視している箇所を、他人は同じように見ているわけではありません。他人は、本人の表情、声、雰囲気、全体の印象を、ぼんやり捉えていて、本人が気にしている細部までは、見ていないことの方が、多いです。
これは「他人も気づいているのでは」という不安に対する、ささやかな反証になります。完全に「誰も気にしていない」と言い切ることはしません。けれど、本人が思っているほど、他人は本人の細部を見ていません。
鏡の置き場所と照明を変える
鏡を見ない日が続くなら、見るための条件を、少し変えてみます。家の中で、鏡が置かれている場所、当たっている照明、横にある物。これらを、ほんの少し変えるだけで、鏡を見るときの心理的負荷が、目に見えて下がることがあります。
強い光が直接当たる鏡は、肌の凹凸を強調します。暗すぎる鏡は、顔色を悪く見せます。本人の顔を、本人にやさしい光で見せる鏡を、家の中に、一つだけでも作っておくと、鏡との関係が、わずかに穏やかになります。
「見るとき」と「見ないとき」を意識的に分ける
朝の身支度のときは見る、それ以外のときはあえて見ない、と、鏡を見るタイミングを、自分で決めるやり方もあります。「見たいときに見る、見たくないときは見ない」という当然のことを、自分に許す、というだけのことですが、効果があります。
外出先のショーウィンドウや、エレベーターの鏡、駅のトイレの鏡。視界に入る鏡は、街にたくさんあります。そのすべてに向き合う必要はありません。視線を上げるか、落とすか、を、その都度選ぶだけで、消耗の総量が、変わってきます。
鏡との関係は人生で変わり続ける
10代の頃の鏡、20代の頃の鏡、30代の鏡、40代の鏡。それぞれの時期で、鏡は別のものでした。今の鏡が重いのは、今の本人の段階で、容姿との関係が、新しい局面に入っているからかもしれません。
新しい局面では、これまでのやり方が通じません。今の自分に合う、新しい関係を、これから探していくことになります。本シリーズは、そのための語彙と練習を、揃えていきます。
「鏡を見ない日が続く」を異常としない
本人の身近に、鏡を見ない日が続いている人がいたとして、その人を「だらしない」「自分を大事にしていない」とは、判断しないでください。鏡を見ない日が続くのは、本人が今、容姿との関係を、組み直している最中だ、ということだからです。
同じことを、自分にも適用します。鏡を見ない自分を、ふだん下せない判断で、責めません。本人が、今は鏡を見たくないと感じている、その感覚を、まず尊重します。
本シリーズで扱う10の局面
第2話では、写真の中の自分に違和感を覚える感覚を扱います。第3話では、ルッキズムを社会構造として言葉にします。第4話以降では、SNS補正、加齢、服装、家族からの言葉、子どもへの伝達、美容医療、最後に鏡の前で一秒長く立つ練習、と、具体的な場面に降りていきます。
10話を通じて、本人が、自分の容姿との関係を、攻撃でも放置でもなく、ゆっくり整え直していくための言葉を、揃えていきます。一気に変える必要はありません。今日の鏡との距離を、少し変えてみるところから、十分です。
容姿の悩みは身近な人と分かち合いにくい
家族や友人に、容姿の悩みを話すと、相手は気を遣って否定するか、過度に同調するか、どちらかになりがちです。本人が欲しいのは、否定でも同調でもなく、「そう感じているんだね」という、淡い受け止めです。
身近な人にうまく話せないとき、本シリーズのような読み物が、いったんの居場所になります。本を読むようにここを読み、自分の感覚に近い言葉が見つかれば、それで十分です。
関連するシリーズ
容姿の悩みは、評価される自分という意味では、能力評価の不安と地続きです。能力を認められない不安のシリーズや、いい人マスクの章と合わせて読むと、自分のどの面に圧がかかっているかが、立体的に見えてきます。
また、容姿への気疲れは、他人と比べてしまう癖と切り離せません。比べる癖のシリーズも、本シリーズの背景として、合わせて参照してください。
「整える」と「装う」を分けて捉える
容姿の話をすると、「整える」と「装う」が混ざりやすいです。整えるは、清潔・健康・安全のための手入れ。装うは、本人が今日選びたい印象のための演出。整えるは生活の維持ですが、装うは選択肢の一つです。鏡を見ない日が続くと、整えるさえ放棄したように感じて、本人が自分を責める場合があります。
けれど、整えるは、鏡をじっと見ることとは別の動作で、最低限維持できていれば十分です。装うを今日はやらない、というのは、何の問題もありません。本シリーズでは、整えると装うを分けて、本人にかかる圧の総量を、減らしていきます。
第2話への接続
次回は、写真の中の自分に違和感を覚える感覚を扱います。鏡よりさらに残酷に感じられる「写真の自分」を、どう理解していくか、を、続けて整理していきます。
無料公開はここまで、次回からは会員限定です。
本記事についての注意
本記事は、容姿への気疲れと心の側の整理を扱う読み物であり、医療判断を代替するものではありません。食事制限、過度な鏡確認・回避、外出困難、自分の体への激しい嫌悪が日常生活に影響している場合は、摂食障害や身体醜形障害(BDD)の可能性も含めて、精神科・心療内科の受診を検討してください。日本摂食障害協会、地域の保健センター、公的相談窓口も活用できます。本記事は美容医療や痩身を推奨するものではなく、また、特定の容姿基準を肯定するものでもありません。記載した内容は一般的な傾向であり、個別のケースを断定するものではありません。
今回のまとめ
- 鏡を見ない日が続くのは怠けではなく自衛
- 本人の容姿の変化より「見え方」の変化が原因
- 鏡とSNSは別の意味を持つ装置
- 「気にしすぎ」と言われた経験が話す気力を奪う
- 鏡を見るコストが上がっている事実をまず認める
- 本人は部分注視で弱点コレクションを見ている
- 他人は本人の細部までは見ていない
- 鏡の置き場所と照明を変える小さな工夫
- 見るとき・見ないときを自分で決める
- 鏡との関係はライフステージで変わり続ける
- 鏡を見ない日を異常としない
- 家族・友人と分かち合いにくいのは普通のこと
- BDDや摂食障害が疑われる場合は専門窓口へ