行かない選択を選ぶ自分を許す

タグ一覧を見る

行かない選択を肯定する無料最終回。

行かないことは、関係を否定することではありません。

「行かない」と決めることの重さ

同窓会の案内が来て、第1話で動悸の扱いを、第2話で比較の場の構造を、本人の中で整理してきました。本記事では、もっとも基本的な選択肢である「行かない」を、本人が選ぶことの肯定を、扱います。「行かない」と本人の中で言葉にした瞬間、本人の中で罪悪感のようなものが、ふっと出てくることがあります。

本人の中の罪悪感は、本人が悪いことをしているからではなく、世間の同窓会肯定の空気が、本人の中に少し残っているからです。本人が「行かない」と決めることは、関係を壊す行為では、ありません。本人の生活と体を守るための、まっとうな選択です。

「行かない」は関係を切ることではない

同窓会に行かない、ということは、同窓生との関係を切る、ということでは、ありません。本人がいま、その場に体を運ばない、というだけのことです。連絡が来れば返事はするし、町でばったり会えば挨拶はする、けれど、何十人かが一斉に集まる場には行かない、という選択は、関係を壊す行為とは別の領域に、あります。

関係を切るかどうかは、本人と相手との一対一の話で、その都度、本人が判断するものです。同窓会という大きな場に出る・出ないだけで、本人の関係性のすべてが、決まるわけでは、ありません。

「自分のせい」と「場のせい」を分ける

本人が同窓会の場に消耗を感じるとき、「自分が社交が苦手だから」「自分が引け目を感じているから」と、本人を責める方向に、思考が動きやすいです。これは、第2話で扱った場の構造を、本人がもう一度確認すると、整理しやすくなります。比較が起きやすい場の構造、当時の序列が戻ってくる構造、家族や年収の質問が出やすい構造、を、もう一度本人の中で言葉にします。

場の構造のせいで本人が消耗するなら、その場に行かないという選択は、本人の弱さではなく、本人の現実的な判断です。「自分のせいだから無理してでも行く」という論理は、本人を必要以上に追い詰めるだけで、解決には、つながりにくいです。

周囲の「行ったほうがいいよ」を流す

本人が「行こうか迷っている」と周囲に話すと、たいていの人が「行ったほうがいいよ」と返してきます。家族、職場の同僚、たまたま話した知人、誰もが、肯定の方向で意見を返してきがちです。これは、相手が、同窓会という慣例を肯定する、世間の標準的な反応です。

周囲の「行ったほうがいいよ」は、本人の判断の根拠には、なりません。相手は本人の体調も、本人と同窓生との関係性も、本人の当時の傷も、本人の今の生活の余裕も、知りません。返答は軽く流して、本人の中の判断に、戻ります。

幹事への返事の言葉

「行かない」と決めたら、幹事への返事は、できるだけ短く、説明しすぎず、丁寧に、出します。「ご連絡ありがとうございます。当日は都合がつかず、欠席させていただきます。皆さまにどうぞよろしくお伝えください。」という形で、十分です。理由を詳しく書く必要は、ありません。

幹事から「どうして来ないの」「無理してでも来てよ」と、追い問いが来ることもあります。「家庭の都合で」「予定が重なっていて」「体調を整える時期で」と、軽い理由で、十分です。本人の本当の理由を、幹事に説明する義務は、ありません。

一度行かなくても、関係が壊れない

「一度行かないと、もう次は呼ばれない」と、本人が不安に思うことが、あります。実際には、同窓会の参加者名簿は、何度かに分けて回るもので、一度の欠席で本人が永遠に外されることは、まれです。次の機会に、本人がその時に判断できる余地は、たいてい残っています。

仮に、もう呼ばれなくなったとしても、それは本人にとって、悪いことばかりとは、限りません。本人の生活が、同窓会という枠から、ゆっくり離れていく、ということでもあります。本人が積極的に望む関係は、別の場所で、本人が作り直していけます。

行かない選択を選ぶ自分を許す

「次は行く」を約束しない

欠席の返事のときに、「次は必ず行きます」「来年は行きたいです」と、未来の約束を、本人が口にしがちです。約束を出すと、本人の中で「次は行かないといけない」という重みが、すでに発生します。次の判断は、次のときの本人の状態で、改めて行えばよいです。

「今回はご都合がつかないだけで、また機会があれば」と、ぼかした返事で、十分です。次回行くかどうかは、次回案内が来たときの、本人の体と気持ちが、決めます。先回りして約束を出して、本人を縛る必要は、ありません。

行かないことを家族にどう伝えるか

同居家族やパートナーに、行かないことを伝える必要があるとき、長い説明は、不要です。「同窓会の案内が来てたけど、今回は行かないことにした」と、結論だけ、共有します。家族が「どうして?」と聞いたら、「あまり気乗りしないから」「体調を整える時期だから」と、軽い理由で、十分です。

家族が「もったいない」「行ってきたら」と返してきても、本人の判断は、家族の感想で揺らがせる必要は、ありません。「うん、でも今回はやめておく」と、もう一度結論を、置きます。家族にとっては小さな違和感かもしれませんが、本人の中では、すでに整理が済んだ判断です。

行かない自分を、自分が責めない

欠席の返事を出した直後、本人の中で「本当に行かなくていいのか」「やっぱり行ったほうがいいのか」と、揺れが、出てきます。これは、判断が間違っていたからではなく、決断のあとに必ず出てくる、自然な揺れです。揺れに乗って、判断を覆す必要は、ありません。

「もう決めた、今回は行かない」と、本人の中でもう一度、短く言葉にします。決めたことを、何度も問い直し続けると、本人の消耗は、行くか行かないかの判断そのものより、はるかに大きくなります。揺れを受け止めて、流します。

「行きたい気持ち」と「行く負担」のバランス

「行かない」と決めた本人の中にも、ほんの少しの「行きたい気持ち」が、残ることがあります。「あの人にだけは会いたかった」「あの話だけは聞きたかった」と、小さな未練が、残ります。この未練を、否定する必要は、ありません。未練と、行ったときの負担とを、本人の中で並べたうえで、「やっぱり今回は行かない」と判断したのですから、未練は残って当然です。

残った未練は、別の形で、本人が解消する道があります。気になる人には個別に連絡を取る、聞きたかった話は別の機会に聞く、と、同窓会の場以外での、再会の道が、ふつうに開いています。

同窓会の場以外の「再会」

同窓会という大きな場に行くことだけが、再会では、ありません。気になる旧友と、ふたりまたは数人で、お茶を一杯飲む、という小さな再会のほうが、本人にとって安全であることが、多いです。何十人の場で消耗するより、二人で一時間話すほうが、本人が得るものが、大きいことが、あります。

「同窓会には行かない、でもあの人とは個別に会う」という選択は、まったく矛盾しません。同窓会という場の制約と、特定の旧友との関係は、別の軸です。本人が動かしたい関係だけを、本人のペースで、動かしてよいです。

無料公開はここまで、次回からは会員限定です。

欠席の返事を出すまでの保留時間

欠席の返事を、案内が来た当日に出す必要は、ありません。第1話で扱った保留時間を、欠席の返事にも、当てはめます。数日、または一週間、本人の中で「やっぱり行かないでよい」が固まるのを、待ちます。固まったあとに、短く欠席の返事を、出します。

逆に、保留しすぎて、案内の存在が、本人の中で重みを増し続けることも、あります。「あと一週間以内に返事を出す」と、本人の中で軽い期限を、置きます。期限が来たら、その時点での本人の判断で、欠席の返事を出します。判断を完璧にしようとせず、その時の本人の判断で、十分です。

当日の過ごし方を、先に決めておく

同窓会の当日、本人が家にいると、「みんないま会っているのか」と、頭の中で同窓会の場面を、想像することが、起こります。当日の過ごし方を、案内を受け取った時点で、ゆるく決めておきます。映画を見る、料理を作る、近場の温泉に行く、と、当日に向けた、本人の小さな予定を、置いておきます。

「行かなかった」というネガティブな枠ではなく、「その日は別の予定で過ごす」というポジティブな枠で、当日を、置き換えます。同じ日でも、枠の置き方によって、本人の体感は、まったく変わります。

同窓会後にSNSで写真を見ない

同窓会が開催されたあと、参加者がSNSに写真を上げることがあります。本人がそれを見にいくと、行かなかった選択への、後悔の波が、戻ってきます。「自分も行っていれば、ここに写っていたかも」と、本人が本人を、責める材料にしてしまうことが、起こります。

同窓会後の数日は、参加者のSNSを、見にいかないようにします。タイムラインに自動で流れてきたら、すぐスクロールで流す、ミュートする、と、距離を取ります。第2話の比較の場の話と、同じ構造です。 補正された写真の章 も、合わせて参考になります。

「逃げた」と言ってくる人への対応

稀に、参加した同窓生から、「逃げたんでしょ」「行かないなんて」と、本人を非難する言葉が、届くことが、あります。LINE、メール、SNS、いずれの場でも、これらの言葉は、本人の判断を否定するために使われます。本人が、これらの言葉を、真に受ける必要は、ありません。

「行けなかっただけ」と、軽く返して、それ以上の説明は、不要です。相手が、本人の判断を理解する義務は、相手のほうにあります。本人が、相手を納得させる義務は、本人のほうには、ありません。 短い言葉で境界を引く章 の考え方が、近いです。

行かない選択をしたあとの罪悪感の整理

「行かない」と決めて、返事を出して、当日が過ぎても、本人の中に罪悪感が、長く残ることが、あります。「みんな来てたのに、自分だけが」「迷惑をかけたのではないか」「次に呼ばれなかったらどうしよう」と、後追いの不安が、出てきます。これらは、本人の判断が間違っていたサインでは、ありません。判断のあとの、心の余震です。

余震は、時間とともに、おさまります。意識的に止めようとせず、「いま余震が来ている」と、本人の中でラベルを貼って、流します。罪悪感の波を一回越えるごとに、本人の中の判断が、少しずつ定着していきます。

「次回会えるとは限らない」をどう扱うか

世間で語られる、同窓会肯定の言葉のひとつに、「次回会えるとは限らない」というものが、あります。年齢を重ねると、同窓生の中で、亡くなる人、病気の人、連絡が取れなくなる人が、出てきます。「いま会わないと、もう会えないかも」という重みが、本人に向けて、語られます。

この重みを、本人がすべて受け取る必要は、ありません。たしかに、人はいつか会えなくなりますが、それを理由に、本人がいま消耗してでも行かなければならない、ということには、なりません。「会えなくなる人もいる、それでも今回は行かない」という判断も、本人の権利の中に、あります。

過去の自分への手紙としての「行かない」

本人が当時、いじめや嫌な記憶を抱えていた場合、「行かない」と決めることは、当時の本人への、小さな手紙のような意味を、持ちます。当時、嫌な場に出ざるをえなかった本人を、いまの本人が、守る。今回は行かなくていい、と、当時の本人に、伝える形です。

これは、過去の本人を救うための、いまの本人の選択でもあります。同窓会に出ることで過去が癒える、というのは、一面的な物語です。同窓会に出ないことで、当時の本人を守るという、別の物語も、同じだけ正当に、存在します。 沈黙してきた話のシリーズ も、参考になります。

「行かない」を選んだあと、何を得たか

同窓会に行かなかった当日と、その後の数日を、本人がどう過ごしたかを、振り返ります。同窓会に行っていたら使っていたはずの時間と気力を、別のことに使えた、ということが、見えてきます。家族との時間、本人の趣味、休息、別の友人との連絡、と、本人の今の生活の中の、別の場所に、時間が回りました。

これは「行かなかった代わりにこれをした」という、補償ではなく、本人が本人の生活を、優先的に運営した結果です。「行かない」は、何かを失う選択ではなく、本人の今の生活を、本人の手元に保つ選択でも、あります。

同窓会以外の旧友とのつながり方

同窓会という大きな集まりとは別の、旧友との関係の運用が、本人にはあります。年賀状、LINEの短いやりとり、たまの個別の食事、SNSでの「いいね」、と、低頻度・低負荷のつながり方が、本人の生活には、すでに、いろいろ走っています。これらを、丁寧に続けることのほうが、本人にとっては大事なつながり方です。

同窓会に行かないことと、これらの低負荷のつながりを続けることは、まったく矛盾しません。同窓会だけが旧友とのつながりだ、という前提を、本人の中で、いったん解きます。 距離を保ったまま続けるという章 の考え方が、近いです。

「行かないこと」を周囲に説明しすぎない

欠席の返事を出したあと、本人がまわりの人に、「自分は同窓会に行かなかった」と、繰り返し報告する必要は、ありません。報告すればするほど、本人の中で、行かなかったことの説明責任が、強くなっていきます。説明責任は、本来、本人にはありません。

聞かれたら短く答える、聞かれなければ言わない、で十分です。同窓会に行ったか行かないかは、本人の私事の領域で、まわりに広く知らせるべき情報では、ありません。本人の中に、静かに、置いておきます。

第4話への接続

第1〜3話では、案内が来たときの動揺、比較が起きる場の構造、行かないという選択の肯定、を扱ってきました。次回からは、「行く」と本人が決めた場合の、心と身体の準備を、扱います。行くと決めた本人の負担を、できるだけ軽くするための、設計の話です。行かない選択を肯定したうえで、行く場合の安全な歩み方を、続けて整理していきます。

本記事についての注意

本記事は心理学的な助言や治療ではなく、同窓会・再会の場面との距離の取り方を整理する読み物です。同窓会のことを考えると不眠が続く、生活に支障が出る、過去の傷が強く戻ってくる、という場合は、精神科・心療内科や、信頼できる相談窓口に相談してください。緊急時には、よりそいホットライン(0120-279-338)、いのちの電話(0570-783-556)も利用できます。

今回のまとめ

  • 「行かない」は関係を切る行為ではなく、本人の生活と体を守る選択です。
  • 幹事への返事は短く、未来の約束は出さず、理由は軽く流せます。
  • 家族・周囲の「行ったほうがいいよ」は、本人の判断の根拠にはなりません。
  • 同窓会の場以外の、低負荷な旧友とのつながりは、すでに本人の生活に走っています。
  • 欠席後の罪悪感は判断の誤りではなく、心の余震で、時間とともにおさまります。

次の一歩

この記事を実践に移す

無料記事で概要をつかんだら、会員ライブラリや料金ページから続きに進めます。

同窓会・再会の気まずさ10話 シリーズ単品

シリーズ

同窓会・再会の気まずさ10話

第3回 / 全10本

第1回 / 無料記事

案内が来た瞬間の動悸

案内一通で動悸が起きるのは、過剰反応ではありません。

この記事へ移動

第2回 / 無料記事

比べたくないのに比べてしまう場

比較は自分の癖ではなく、場の癖でもあります。

この記事へ移動

第3回 / 無料記事

行かない選択を選ぶ自分を許す

行かないことは、関係を否定することではありません。

現在表示中の記事です。

この記事を開く

第4回 / 会員向け

行くと決めたときの準備

準備は、緊張を消すためではなく持ち堪えるためです。

この記事へ移動

第5回 / 会員向け

当日の会話の組み立てとフェードアウト

退席は失礼ではなく、設計の一部です。

この記事へ移動

第6回 / 会員向け

帰ってからの消耗をどう手当てするか

帰宅後の数日が、再会の本番です。

この記事へ移動

第7回 / 会員向け

過去のいじめ・嫌な記憶と再会する場

傷を呼び戻す場には、行かない選択が常に並列です。

この記事へ移動

第8回 / 会員向け

SNSで再会後につながるかの判断

つながるか否かは、再会と別の判断です。

この記事へ移動

第9回 / 会員向け

配偶者・子の話を持ち出さない選択

話さないことも、関係を守る設計です。

この記事へ移動

第10回 / 会員向け

旧友という関係を更新する

旧友は固定ではなく、書き直せる関係です。

この記事へ移動