いじめや嫌な記憶を持つ読者へ
本シリーズは、同窓会や旧友再会の場面を扱います。学校や職場で、いじめを受けた経験、嫌な記憶のある関係を、いまも抱えている読者にとっては、本シリーズの題材そのものが、しんどい話です。読み進めて苦しさが強くなったら、無理に最後まで読まなくて構いません。
過去の傷が強く戻ってくる、フラッシュバックが起きる、眠れなくなる、生活に影響が出る、と感じる場合は、精神科や心療内科の受診も、選択肢に入れてください。 沈黙してきた話のシリーズ も、合わせて参考になります。
一通のメッセージで動悸が起きる
同窓会の案内が届いた瞬間、心拍が上がる、胃がきゅっとなる、頭が真っ白になる、という反応が、本人の中で起こります。LINEのグループに突然追加された、卒業アルバムの住所に手紙が届いた、SNSで「久しぶり」とDMが来た、と、入り口は色々です。共通しているのは、本人の意思とは別に、体が先に反応する、ということです。
この動悸は、過剰反応ではありません。本人が、過去のその時期の自分と、急に再会することを、迫られているからです。体の反応は、本人を守ろうとしている、自然なシグナルです。
案内に「すぐ返事」をしない
案内が来てすぐに、行く・行かないの返事をしません。本人の中で動悸が起きているあいだは、判断が、本人の意思ではなく、動悸のほうから、急いで出てきます。「行かない」と即答するのも、「行く」と義務感で答えるのも、本人の落ち着いた判断では、ありません。
案内を受け取ったら、まず、いったん画面を閉じる、案内を引き出しにしまう、と、距離を置きます。返事は数日、または一週間、保留してもよいです。期限が迫っているように見えても、たいていの場合、数日程度の保留は、許容されます。
動悸が起きること自体に意味がある
動悸が起きるということは、本人にとって、その関係や、その時期が、いまも本人の中で生きている、ということです。完全に過去のもの、忘れた話、になっていれば、案内が来ても動悸は起きません。動悸は、本人の中の何かが、いまもその場面に反応している、というサインです。
このサインを、本人が「気にしすぎ」と打ち消すのではなく、「自分の中で、まだ動いているものがあるんだ」と、認識する材料として、扱います。動悸そのものを止めようとせず、動悸が伝えていることを、本人の中で受け取ります。
「みんな来るらしい」に揺さぶられない
案内とともに、「みんな来るらしいよ」「今回は人数が多いって」「あの子も来るって」と、参加者情報が伝わってくることがあります。これらの情報は、本人の判断を、社会的圧力に近い方向に、揺さぶります。「自分だけ行かない」という形で、本人が孤立を恐れる構造です。
参加者情報は、判断の参考にしてもよいですが、本人が行く・行かないを決める主軸では、ありません。主軸は、本人の体と気持ちが、その場に行って、どれくらい消耗するか、です。 比べてしまうシリーズ も、参考になります。
SNSで先回りして調べない
案内が来た直後、参加者のSNSを片っ端から見にいきたくなる衝動が、起こります。「あの子はいまどうしてるか」「結婚したのか」「仕事は何をしているか」と、再会前に情報を集めようとします。これは、本人が、当日の動揺を予防するための、自然な反応です。
けれど、SNSで先回りすると、再会前にすでに比較が始まります。当日の本人が、SNSで見た情報と、目の前の旧友を、二重に比較することになります。SNSの先回りは、本人を守るより、本人を消耗させる方向に、働きやすいです。
「行きたい」と「行かなくては」を分ける
本人の中で「行きたい」と「行かなくては」が、混ざっていることが、よくあります。会いたい人もいる、けれど、会いたくない人もいる、けれど、行かないと申し訳ない、けれど、行ったら消耗する。この絡まりを、ほどく必要は、ありません。絡まったまま、保留しておきます。
判断は、絡まりがすぐにほどけなくても、本人の体が、ある日、「やっぱり行かない」「やっぱり行く」と、教えてくれます。そのときまで、絡まりを抱えたまま、時間を置きます。
家族・パートナーの意見をすぐに聞かない
「同窓会に行こうか迷ってる」と、家族やパートナーに、すぐに相談したくなる場面があります。相談自体は悪くないですが、相談すると「行ってきたら」「行かなくていいんじゃない」と、相手の即答が、本人の中に入ってきます。本人の中での絡まりが、相手の即答で、一見ほどけたように見えますが、実は本人の判断ではなく、相手の判断に、本人が乗っただけになります。
家族やパートナーに話すなら、判断ではなく、「動悸が起きた」「迷っている」という事実を、共有する形にとどめます。判断は、本人ひとりで、ゆっくり、寄せていきます。
過去の自分を、いまの自分が裁かない
案内が来ると、過去のその時期の自分が、いまの自分の中に、強く戻ってきます。「あの頃の自分は、ああだった」「あの時期は、こうだった」と、過去の自分を、いまの自分が裁き始めます。「もっとああしておけば」「あんなふうにしなければよかった」と、後悔の言葉が、湧きます。
過去の自分は、いまの自分が裁ける対象では、ありません。当時の本人は、当時の本人なりに、その時期を生きていました。裁きが始まったら、「いまの自分が、当時の自分を裁いている」と気づくだけで、いったん止めます。
会いたくない人が来る可能性
同窓会には、本人が会いたくない人が、来る可能性があります。いじめの関係、嫌だった先生、好きでない元同級生、過去のパートナー、と、人それぞれです。会いたくない人が来る可能性があるという事実だけで、本人が行かない選択をする理由は、十分に成立します。
「我慢して行けば、自分が成長できるかも」と、本人が自分を試そうとする必要は、ありません。会いたくない人と、無理に再会することは、本人の癒やしには、つながりにくいです。
動悸を、紙に書き出してみる
案内が来てから数日のあいだに、本人の中に動いていることを、紙に書き出してみます。「何が嫌か」「何が気になるか」「誰のことが浮かぶか」「自分の中で、何が反応しているか」と、書きます。書いた紙は、誰にも見せず、自分の引き出しにしまうか、捨てます。
書く目的は、判断を出すことではなく、本人の中で動いているものに、形を与えることです。形が見えると、動悸そのものは、少し弱まります。
「いま」と「過去」を分けて置く
同窓会の案内が起こす動悸の多くは、過去の本人の話と、いまの本人の話が、混ざっていることから来ます。いまの本人の生活は、過去のその時期からは、もう離れた場所にあります。同じ場所に本人がいなくても、本人の中で、過去と現在が、同じ重さで動くことが、あります。
「これはいまの話か、過去の話か」と、本人の中で、区別する習慣を、少しずつ作ります。区別できなくても構いませんが、区別しようとすること自体が、本人を、過去から少し離す働きを、します。
無料公開はここまで、次回からは会員限定です。
幹事からの追い催促に揺れない
同窓会の幹事から「みんな返事くれてるよ」「あなたの返事を待ってる」「人数確定したいから」と、追い催促が来ることがあります。幹事に悪意はないことが多いですが、本人の判断を急かす圧力にはなります。返事を待たせていることを、過剰に申し訳なく感じる必要は、ありません。本人の判断のための時間は、本人の領域です。
「同窓会の意味」を、自分で決めてよい
「同窓会は、人生を振り返るいい機会」「久々に会えるのは貴重」「行かないと後悔する」と、世間は、同窓会の意味を、肯定の方向で語ります。本人が、その意味を、自分で決め直してよいです。「自分にとっては、いまの生活を消耗させてまで行く意味はない」と、本人が判断することも、まっとうな選択です。
「招待」と「義務」を、本人の中で分ける
同窓会の案内は、招待であって、義務では、ありません。招待に対して、本人が、行く・行かないを選ぶ自由が、最初からあります。「行かない」と返事することは、招待を断ることであって、関係を切ることでは、ありません。次の機会には、また案内が来るかもしれませんし、来ないかもしれません。それは、その時に考えます。
過去の同級生は「いまも友達」ではない
同窓会では、過去に同じ場で過ごしたという事実だけで、「いまも友達」のように扱われがちです。本人にとって、いまも交流のある同級生もいれば、もう何十年も会っていない同級生もいます。両者を、同じ「友達」として扱う必要は、ありません。会っていない期間が長い相手は、いまの本人にとって、まだ距離のある人、です。
動悸が続く場合の体のケア
案内が来てから数日経っても、動悸が続く、夜眠れない、食欲が落ちる、と、体への影響が続く場合があります。これは、本人の意思とは別に、体が反応している状態です。深呼吸、温かい飲み物、軽い散歩、と、体を整える小さな手当てを、続けます。体の反応が強い場合は、案内のことは数日見ない、と、距離を取ることが、優先されます。
「集合写真」を予期して身構える
同窓会の場では、ほぼ必ず、集合写真の撮影があります。撮影された写真は、その後SNSやLINEグループで、流通します。本人が、写りたくない、自分の写真を他人にシェアされたくない、と感じる場合があります。これは、本人が後ろめたいから、ではなく、本人の容姿や状態を、自分の知らない場所で流通させたくない、という、まっとうな感覚です。 写真の章 も、参考になります。
撮影を断る権利、写真の使用を制限してほしいと幹事に伝える権利、SNSへの掲載を控えてほしいと伝える権利は、本人にあります。「みんな撮ってるから」を理由に、本人が撮影を強制される根拠は、ありません。
「行かない」を、自分の中で先に決めない
動悸が起きた直後に、本人が「行かない」と即決することも、判断としては早すぎることがあります。動悸の反応の中で「行かない」と決めると、後から「やっぱり行きたかった」と、後悔が出ることが、あります。即決の「行かない」も、即決の「行く」と同じく、本人の落ち着いた判断ではない、可能性があります。
本人の中で「いま、行きたい気持ちが少しでもあるか」「行ったらどう感じそうか」と、保留しながら、確認する時間を、置きます。判断は、急がない、というのが、案内が来た直後の、本人にとっての守りです。
第2話への接続
次回は、再会の場で「比べたくないのに比べてしまう」という現象を、本人の癖としてではなく、場の構造として、整理します。本人を責めずに、場の側を見ます。
本記事についての注意
本記事は心理学的な助言や治療ではなく、同窓会・再会の場面との距離の取り方を整理する読み物です。過去の傷が強く戻る、フラッシュバックや不眠が続く、生活に支障が出る、という場合は、精神科・心療内科や、信頼できる相談窓口に相談してください。緊急時には、よりそいホットライン(0120-279-338)、いのちの電話(0570-783-556)も利用できます。
今回のまとめ
- 同窓会の案内で動悸が起きるのは、過剰反応ではなく、本人を守るシグナルです。
- 案内にすぐ返事せず、数日から一週間、保留してよいです。
- 「みんな来る」「SNSで先回り」「家族の即答」は、本人の判断を急かす方向に働きます。
- 会いたくない人が来る可能性があるという事実だけで、行かない理由として十分です。
- 過去の自分を、いまの自分が裁かないようにします。動悸は、書き出して形を与えると、少し弱まります。