集中力は筋肉ではない

感情表現・内省 自己理解

タグ一覧を見る

集中力を筋肉モデルで考えない見方を扱います。鍛える発想から整える発想への移行。

集中力は鍛えるより、整えるものです。

「集中力を鍛える」という言い方の落とし穴

第2話では、読書から離れた時期によく言われる、「集中力を鍛えましょう」というアドバイスを、少し疑うところから始めます。集中力を鍛える、という言い方は、集中力を筋肉のような身体能力として捉える発想に基づいています。鍛えれば強くなり、放置すれば衰える、という筋肉モデルです。このモデルが、書店の自己啓発コーナーやビジネス書の主流の語り方になっていて、本人もそれを内面化しています。

筋肉モデルが間違いだと言いたいわけではありません。短時間の集中を繰り返す訓練が、ある程度の効果を持つことは、いくつかの研究で示されています。問題は、筋肉モデルだけで集中の話を回そうとすると、見えなくなる側面がたくさんある、という点です。集中力は、筋肉のように単独で存在する能力ではなく、生活の前提、心の状態、情報摂取のパターン、身体の疲労度といった、さまざまな条件の上に立ち現れる、状態に近いものだからです。

本シリーズの立場では、集中力を「鍛える」より「整える」と言い換えることを勧めます。整える、というのは、集中が立ち上がりやすい条件を生活の中に揃えていく、という姿勢です。条件が揃えば、集中は自然に立ち上がります。条件が崩れていれば、いくら本人が頑張っても集中は立ち上がりません。この発想の転換は、読書から離れた時期の本人を、ずいぶん楽にしてくれます。

集中力は筋肉ではない

「集中できない自分」を責めない

筋肉モデルの最大の弊害は、集中できないときに本人が自分を責める方向に物語を組み立ててしまうことです。集中力が筋肉なら、それが弱いのは本人の鍛錬不足、と帰属しやすくなります。これは、ジムに通っていない人を「怠けている」と評価するのと、ほぼ同じ構造です。実際には、ジムに通えない事情、たとえば仕事の忙しさ、ケアの責任、健康上の制約、経済的な制約があるように、集中できない事情も多様にあります。

集中できない時期の本人がよく訴えるのは、こんな状態です。ページを開いても、最初の数行で頭の中が別のことを考え始める。SNSの通知が気になる。気にならないように通知を切っても、切ったこと自体が気になる。手元のスマートフォンを伏せても、伏せたスマートフォンの存在が気になる。これらは、本人の鍛錬不足ではなく、生活の構造の中で本人の注意が分散している状態の表れです。

こういう時期に「もっと集中しなさい」と自分に言い聞かせると、たいてい逆効果になります。集中しよう、という意識そのものが、集中の対象から注意を逸らす要因になるからです。スポーツでも、緊張するな、と自分に言い聞かせると、かえって緊張するのと同じ構造です。本人が集中を意識する代わりに、集中が立ち上がる条件を整える、という外側の作業に意識を向けるほうが、結果的に集中の質は上がります。

「集中の波」を観察する

集中を整えるための第一歩は、自分の集中の波を観察することです。一日の中で、集中が立ち上がりやすい時間帯と、立ち上がりにくい時間帯があります。多くの人にとって、午前中の早い時間帯と、夕方の少しお腹がすいた時間帯が、集中が立ち上がりやすい二つの山です。逆に、昼食後の一時間と、夜の遅い時間帯は、集中の谷になりやすいです。これは個人差が大きいので、自分の波を観察することが、最初の作業になります。

観察のしかたは、メモアプリでも紙のノートでも構いません。一週間、一日に三回、自分のいまの集中の状態を、五段階くらいで簡単に記録します。何時に、何をしていて、集中度がいくつだったか。それだけです。一週間続けると、自分の集中の地図がうっすら見えてきます。地図が見えると、読書を試みる時間帯を、集中の山に合わせて配置できるようになります。

多くの人がやってしまうのが、集中の谷の時間に読書を試みて、読めなかった経験から「自分は本が読めない人間だ」と結論を下すことです。実際には、谷の時間に試みただけで、山の時間にはまだ試していない可能性があります。山と谷を分けて見ると、読書ができない時期、と一括して扱っていた状態の中に、まだ余地があることが見えてきます。

「短時間の集中」を積み重ねる発想

長時間の集中ができない時期に、無理に長時間集中しようとするのではなく、短時間の集中を積み重ねるほうが現実的です。たとえば、十分だけ本を開く、というルールにして、十分経ったら本を閉じる。途中で気が散ったら、その時点で閉じる。これを一日に何回か繰り返す。十分の集中を一日五回できれば、合計五十分の読書時間が確保できます。これは、一時間ぶっ通しの読書とほぼ同じ量です。

短時間集中の利点は、本人の中での「読書に対する敗北感」が積まれにくいことです。一時間集中しようとして三十分で力尽きると、敗北感が残ります。十分集中しようとして十分続いたら、それは成功です。成功体験を積み重ねるほうが、本人の中で本に対する関係が再建されやすくなります。技術的には、ポモドーロ・テクニックなど既存の時間管理術と似ていますが、本シリーズの文脈では、生産性向上ではなく、自己評価の回復のために使います。

短時間集中で読む本は、構成上、細切れで読みやすい本が向いています。短編集、エッセイ集、対談集、詩集、写真と短い文の組み合わせの本。長編小説や、長い論考、専門書は、短時間集中向きではありません。長編に挑むのは、集中が戻ってきた次の段階の楽しみとして、しばらく取っておきます。

「集中を奪うもの」のリスト化

集中の条件を整えるためには、何が自分の集中を奪っているかを、具体的にリスト化しておくのも有用です。よくあるリストの項目を挙げると、スマートフォンの通知、スマートフォンの存在そのもの、テレビや動画の音、家族の話し声、部屋の散らかり、机の上の未処理の書類、お腹のすき具合、眠気、特定の人とのやり取りの予感、未送信のメール、明日の予定への不安。これらは、すべて同時に集中を奪っているわけではなく、その日その時間で、優位な妨害要因が違います。

リスト化する目的は、すべてを除去することではなく、いま自分の集中を奪っている主犯を特定することです。主犯がスマートフォンの存在なら、別の部屋に置く。主犯が未送信のメールなら、まずそれを送ってから本を開く。主犯が明日の予定への不安なら、不安をノートに書き出してから本を開く。妨害要因をリスト化して、その日の主犯に応じて対処を変える、というのが、整える作業の具体的な中身です。

日常ストレスシリーズの第4話 でも触れた通り、現代の私たちの注意は、たいていスマートフォンによって細かく分散されています。スマートフォンが主犯であることが多いので、まずスマートフォンを物理的に遠ざける、というのが最初の介入になりがちです。ただし、スマートフォンを遠ざけることで別の不安が立ち上がる場合もあるので、本人の状況に応じて加減してください。

「読み終えなければならない」の解除

集中の条件を整える話の延長で、読書に対する「読み終えなければならない」という強制を一度解除する練習も有用です。読み終えなければならない、という意識は、本を開いている時間の中で、ずっと「ゴールまでの距離」を計算させ続けます。残りのページ数を数え、あと何時間で読み終わるかを推定し、その時間が確保できるかを心配する。この計算が、集中そのものを奪っていきます。

読み終えることを目的にせず、開いている十分だけを目的にする。十分が終わったら、続きを読まなくてもいい。次の十分が来たら、続きから読んでもいいし、別のページに飛んでもいい。これは、学校の宿題としての読書から離れて、大人の余白の時間としての読書に戻す、という再定義です。本シリーズの読み方も、同じ姿勢で構いません。

読み終えない読書は、本との関係を変えてくれます。一冊の本に対して、いつでも開いていつでも閉じられる、という関係になります。所有している本のうち、最後まで読み終えた本が三割しかなくても、それで十分です。残りの七割は、いつか戻ってくるかもしれない本、として、関係が継続しているだけです。読書の量を、読み終えた本の冊数ではなく、本と過ごした時間の総量で測ると、本人の中の読書の量が、実はそれなりにあったことに気づくかもしれません。

「読書筋」を鍛える、という発想からの卒業

「読書筋を鍛える」という言葉が、いつ頃から流通したのかは、はっきりしません。出版業界、書評家、教育者などの界隈で、読書離れに対する危機感とともに使われ始めた言葉のようです。意図は善意で、本を読む習慣を持続させるためには、ある種の継続的な努力が必要、ということを伝えるための比喩でした。けれども、この比喩は、読めない時期の本人にとっては、二重に重荷になります。

一つは、読書を「鍛えるべき能力」として位置づけることで、本来は楽しみであったはずの読書を、訓練やノルマに変えてしまうことです。もう一つは、読書筋が衰えた、という自己評価を本人に与えてしまうことです。衰えたものは取り戻さなければならない、というプレッシャーが、また本から本人を遠ざけます。本シリーズの立場では、この読書筋という比喩を、いったん卒業することを勧めます。

読書筋がない、という自覚を持つ代わりに、自分の今の生活と読書の関係はこういう形だ、という観察に置き換えます。今は短い活字しか読めない時期、今はエッセイは読めるが小説は読めない時期、今は紙の本は読めるが電子書籍は読めない時期。これらは、能力の高低ではなく、関係の形の違いです。関係の形は、時期によって移り変わります。鍛える対象ではなく、観察する対象です。

「集中の質」が変わるという視点

もう一つ、見落とされがちな視点として、集中の量だけでなく、集中の質の変化があります。スマートフォン時代以降の私たちの集中は、深さよりも切り替えの速さに最適化されています。短い時間で複数の話題に注意を切り替える能力は、むしろ向上している可能性があります。その代わりに、一つの話題に長く深く沈み込む能力は、減退しているように見えます。

これは、能力の総体としては、減ったというより、形が変わった、と見るほうが正確かもしれません。切り替えに強い集中は、現代の仕事や生活の多くの場面で実際に役立っています。会議、SNS、複数のプロジェクトの並行管理、家事と仕事の同時進行、子育てと業務の並行。これらの場面では、深く沈み込む集中よりも、切り替えに強い集中のほうが、生活を回す力として有効です。

読書は、後者の「深く沈み込む集中」を要求する活動です。前者の「切り替えに強い集中」が日常で発達した結果、後者が相対的に弱くなった。これは、能力が落ちたのではなく、別の能力に資源が回っているだけ、と見ることもできます。読書を取り戻すには、別の能力に回っている資源の一部を、深く沈み込む集中に戻す作業が必要になります。これも、鍛えるというより、配分の変更です。

補足として、年齢を重ねるとともに集中の質が変わっていくことも、淡々と認めておきます。十代二十代の頃に何時間も小説に没頭できた経験を基準にすると、四十代五十代の集中の長さは確実に短くなっています。これは衰えと呼ぶこともできますし、生活の責任が増えて頭の中の常駐プロセスが増えた結果と呼ぶこともできます。どちらの呼び方を選ぶかで、本人の感じ方が変わります。本シリーズの立場では、後者の呼び方を勧めます。常駐プロセスが多い状態を、衰えではなく、人生のいまの段階の前提として受け入れ、その前提のうえで読書との関係を再設計する、という姿勢です。

第2話の問い

第2話で持ち帰ってほしい問いは三つ。一つ目、あなたの一日の中で、集中が立ち上がりやすい時間帯はいつですか。覚えていない場合は、来週一週間、観察してみてください。二つ目、いまあなたの集中を奪っている主犯は、何ですか。主犯を一つだけ挙げるなら、何でしょう。三つ目、読書筋という比喩を、あなたはどれくらい自分に押し付けてきましたか。その比喩を卒業すると、あなたの読書との関係はどう変わるでしょう。

今回のまとめ

  • 「集中力は筋肉」という発想は半分正しく半分間違い。鍛えるより整える、という言い換えを試す
  • 集中できない自分を責めず、集中の条件を整える外側の作業に意識を向ける
  • 一日の中で集中の山と谷を観察し、読書を山の時間に配置する
  • 長時間集中ではなく、十分の短時間集中を積み重ねる発想で成功体験を積む
  • 集中を奪う主犯を特定し、その日の主犯に応じて対処を変える
  • 「読書筋」「読み終えなければならない」を一度卒業し、本との関係を再定義する

シリーズ

「読めない・観られない時期」── 本が読めない、長い文章が追えない10話

第2回 / 全10本

第1回 / 無料記事

本が積まれていく

積まれた本は、読めない自分の証拠ではなく、戻る場所の印です。

この記事へ移動

第2回 / 無料記事

集中力は筋肉ではない

集中力は鍛えるより、整えるものです。

現在表示中の記事です。

この記事を開く

第3回 / 無料記事

SNS のあとに本が読めない

SNSの直後は、本の入り口が見えにくくなっています。

この記事へ移動

第4回 / 会員向け

短い活字から戻る順番

戻る順番は、短くてやさしいものからです。

この記事へ移動

第5回 / 会員向け

オーディオブック・朗読という選択

耳で受け取る読書も、本物の読書です。

この記事へ移動

第6回 / 会員向け

映画を最後まで観られない夜

二時間が長く感じるのは、心の余白が少ない印です。

この記事へ移動

第7回 / 会員向け

ニュース・長文の追えなさ

ニュース疲れは、避けることが正解の時もあります。

この記事へ移動

第8回 / 会員向け

仕事の文書が読めない

読めない仕事の文書は、声に出すと半分入ってきます。

この記事へ移動

第9回 / 会員向け

「感想を持たない」自由

感想を持たないまま読んでいい、と決めるのも自由です。

この記事へ移動

第10回 / 会員向け

読めない時期を恥じない

読めない時期は、人生で何度でも訪れます。

この記事へ移動