なぜ人と比べてしまうのを止められないのか──社会的比較の仕組み

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SNSで他人と比べて落ち込む、同僚の成功が気になる──フェスティンガーの社会的比較理論から、比べることの仕組みと止められない理由を解き明かす第5回。

友人の楽しそうな投稿を見て、自分の暮らしが色あせて見える。同僚の昇進を心から祝えない自分に罪悪感を覚える。比較を「やめよう」と思ってもやめられない理由は、脳の仕組みにありました。

タイムラインの向こう側の暮らし

金曜の夜、ソファでSNSを開く。友人が家族旅行の写真を投稿している。青い海、白い砂浜、子どもたちの笑顔。別の友人は昇進の報告。「やっとマネージャーになれました」。大学時代の後輩は起業して雑誌に取り上げられている。同僚は手作りの料理を並べたおしゃれな食卓の写真。──画面をスクロールするたびに、自分の金曜の夜──ソファでポテトチップスを食べながらSNSを見ている──が、どんどん色あせて見える。

頭では「SNSは良い部分だけ切り取ったもの」とわかっている。その友人だって、旅行のために何ヶ月も節約して、出発前日に子どもの体調不良で大騒ぎしたかもしれない。昇進した友人は、昇進の裏で睡眠を削って無理をしているかもしれない。──それでも、「わかっている」ことと「感じる」ことは別物です。切り取られた幸福を見るたびに、自分の日常と比べてしまう。そして少しだけ、沈む。

SNSだけの話ではありません。同僚が上司に褒められているのを見て、「自分はどうだろう」と考える。友人の子どもが賞を取ったと聞いて、自分の子育てを振り返る。年末の同窓会で、同級生のキャリアと自分のキャリアを暗黙のうちに比較する。──人と比べるのは、意識してやっているわけではない。気がつけば比べている。そして大抵、比べたあとの気分は良くない

「人と比べるのはやめよう」。自己啓発の本にもSNSの投稿にもそう書いてある。しかし、「やめよう」と思ってやめられるなら、そもそも問題にはならない。なぜ人と比べることがこれほど自動的に、止めがたく起こるのか。──その仕組みを理解するために、約70年前に提唱された理論に立ち返ります。

フェスティンガーの社会的比較理論

1954年、社会心理学者レオン・フェスティンガーは社会的比較理論(social comparison theory)を発表しました。その核心はシンプルです。人間には「自分の意見や能力を評価したい」という根本的な欲求があり、客観的な基準がないとき、他者と比較することで自己評価を行う

「走るのが速いかどうか」を知るには、タイムを測ればいい。しかし「自分は仕事ができるほうか」「自分の収入は十分か」「自分の人生はうまくいっているか」──こうした問いには客観的な尺度がありません。だから、他者という「ものさし」を使って自分を測ろうとする。これがフェスティンガーの言う社会的比較です。

重要なのは、フェスティンガーがこの比較を「欠陥」や「弱さ」ではなく、人間の認知システムに組み込まれた基本的な機能として位置づけたことです。自分がどこに位置しているかを知ることは、社会的な環境に適応する上で不可欠な情報処理です。集団の中で自分の能力や位置を把握できなければ、適切な行動を選択することが難しくなる。──社会的比較は、社会的動物である人間にとって「余計なクセ」ではなく「必要な機能」なのです。

フェスティンガーはさらに、比較対象の選び方にも法則性があることを示しました。人は一般に、自分と似ている他者を比較対象として選ぶ傾向がある。オリンピック選手と自分のランニングタイムを真剣に比べる人はあまりいない。しかし、同期の同僚、同じ年代の友人、同じ地域に住む隣人──「自分と近い」と感じられる人は、強力な比較対象になる。似ているからこそ、「あの人にできて自分にできない」の落差がリアルに響く。

上方比較と下方比較──比べる方向の心理学

社会的比較には方向があります。

上方比較(upward comparison)は、自分よりも優れている(と感じる)他者との比較です。自分より成功している人、自分より裕福な人、自分より幸せそうな人との比較。上方比較はときに動機づけとして機能します。「あの先輩のようになりたい」が努力の原動力になる場面は確かにある。しかし、多くの研究は、上方比較が自尊心の低下、嫉妬、不満と結びつきやすいことを示しています。とくに、比較対象との差が「自分の努力では埋められない」と感じられるとき、上方比較は動機づけではなく挫折感をもたらします。

下方比較(downward comparison)は、自分よりも劣っている(と感じる)他者との比較です。心理学者トーマス・ウィルスは1981年に「下方比較の理論」を提唱し、自尊心が脅かされたとき、人は自分よりも不幸な他者と比較することで一時的に自己評価を回復させようとすることを示しました。「あの人よりはましだ」──この感覚は短期的には気分を改善しますが、長期的には自己成長を阻害し、他者を見下す傾向を強化するリスクがあります。

日常の中で、両方の比較は無自覚に起きています。朝のSNSで上方比較をして沈み、夕方のニュースで他人の不幸に触れて下方比較で少し持ち直す。──この無意識の振り子運動にどれだけの認知リソースが費やされているか、私たちは普段自覚していません。

SNS──かつてない比較エンジン

フェスティンガーが社会的比較理論を提唱した1954年、比較の対象は物理的に近い人──家族、友人、同僚、近隣住民──に限られていました。比較の機会は対面のやり取りに限定されており、頻度も限られていた。

2020年代の今、状況は劇的に変わっています。SNSは、人類史上かつてないスケールの比較エンジンとして機能しています。

第一に、比較対象の数が爆発的に増えた。かつては数十人の知人と比較すればよかった。今は数百人、数千人のフォロー先と比較できる(してしまう)。しかも、フォロー先には作家やアスリートやインフルエンサーなど、「自分とは明らかに異なる条件の人」が含まれますが、同じタイムラインに流れてくるため、脳は無意識にそれらを比較対象として処理してしまいます。

第二に、比較の頻度が極端に高くなった。スマートフォンを開くたびにタイムラインをスクロールする。一日に何十回もの比較が、ほとんど意識されることなく行われる。かつての社会では、比較の機会は一日に数回、多くても十数回だったでしょう。今は数百回に達しうる。

第三に、比較の材料がポジティブ方向に偏っている。SNSに投稿される内容は、旅行、美食、昇進、家族の幸福──生活のハイライトが中心です。「上司に怒られた」「子どもに泣かれて途方に暮れた」「一日中パジャマで過ごした」は投稿されにくい。結果として、他者の生活は実態よりもポジティブに見え、それと比較される自分の生活は(ハイライトではなく日常なので)実態通りに見える。他者の「ベスト」と自分の「日常」を比較する構造が、SNS上では常態化している。

ヒューストン大学の研究者メイ・ブルクらは、SNS利用と抑うつ症状の関連を調べた研究(2015年)で、SNSの利用時間そのものよりも、SNS上での社会的比較の頻度が抑うつ症状とより強く相関することを見いだしました。つまり問題は「SNSを使うこと」自体ではなく、「SNS上で比較すること」。そして先に述べたように、SNSの構造そのものが比較を促進するように設計されている。──個人の意志で「比べないようにする」ことの限界がここにあります。

「ライフイベント」という見えないものさし

社会的比較が特に鋭く刺さる場面の一つが、ライフイベントの比較です。結婚、出産、マイホーム購入、昇進。同世代の友人がこれらの「ステップ」を踏むたびに、自分がまだ踏んでいないステップが可視化される。30歳前後の「まだ結婚していない」、35歳前後の「まだ管理職ではない」、40歳前後の「まだ家を買っていない」──年齢が見えない「ものさし」として機能し、社会的比較に時間軸の焦りを加えます。

発達心理学者ベルニス・ニューガーテンは、社会には「ソーシャルクロック(social clock)」──「この年齢までにこれを達成しているべき」という暗黙の時刻表──が存在することを論じました。このソーシャルクロックから「遅れている」と感じるとき、焦りと自己否定が強まる。そしてSNSは、同世代のライフイベントを「リアルタイムで」可視化するため、ソーシャルクロックの圧力はかつてないほど強烈です。友人の結婚報告、同僚の出産報告、後輩の昇進報告──それぞれは幸せなニュースのはずが、比較のフィルターを通ると「自分の遅れ」の証拠に変換されてしまう。

もちろん、ライフイベントの順序や時期に「正解」はありません。結婚しない選択も、子どもを持たない選択も、転職を繰り返す選択も、それぞれに理由と文脈がある。頭ではそう理解していても、ソーシャルクロックのプレッシャーは感情レベルで作動します。──「自分は自分のペースでいい」と思えるのは、比較が作動していない穏やかな瞬間だけで、SNSを開けばまた比較が始まる。それが社会的比較の厄介なところです。

「自分だけが置いていかれている」──相対的剥奪

社会的比較がもたらす独特の苦しさに、相対的剥奪(relative deprivation)という概念があります。客観的には恵まれている状況にあっても、周囲との比較によって「自分は十分ではない」「取り残されている」と感じる心理状態です。

この概念の起源は第二次世界大戦中のアメリカ軍の研究にまで遡ります。昇進率の高い部隊の兵士は、昇進率の低い部隊の兵士よりも昇進に不満を持っていた。客観的にはより良い環境にいるのに、満足度が低い。なぜか。周囲が次々と昇進する環境では、「自分だけがまだ昇進していない」という比較が生じるからです。昇進率の低い部隊では、「誰も昇進していないから仕方ない」と比較の圧力が弱い。──幸福度は絶対的な条件よりも、周囲との相対的な位置によって大きく左右される

経済学でも同じ現象が報告されています。リチャード・イースタリンが提起した「イースタリンのパラドックス」は、一国の経済成長が国民の平均的な幸福度を必ずしも高めないことを示しました。全員の所得が均等に上がれば、比較の構造は変わらない。隣の人も同じだけ豊かになれば、自分が豊かになった実感は薄い。──幸福度を規定するのは絶対的な豊かさではなく、「自分は周囲と比べてどうか」という相対的な位置なのです。

SNS時代の相対的剥奪は、歴史上のどの時代よりも広範で深刻です。比較対象が物理的な近隣に限られていた時代には、「地域の中での自分の位置」が基準でした。しかしSNSは比較対象を地球規模に拡大した。世界中の「ハイライト」と自分の「日常」を比べることになれば、ほぼ誰でも相対的剥奪を感じうる。客観的にはまったく不足がなくても、「自分だけが置いていかれている」という感覚が生まれてしまう。

比較は「やめられる」のか

「人と比べるのをやめよう」──このアドバイスの善意は疑いません。しかし、フェスティンガーの理論が示すように、社会的比較は人間の認知システムに組み込まれた機能です。呼吸を止めようと思ってもいずれ吸ってしまうように、比較を意志の力で完全にやめることは現実的ではありません。

心理学者ギルバート、ゲッシマー、モリスの研究(1995年)は、社会的比較がどの程度「自動的」に起こるかを検証しました。結果は明確でした。たとえ「比較しないでください」と明示的に指示されても、被験者は無意識に比較を行い、その影響を受けていた。比較は意識的な判断というよりも、情報に触れた瞬間に自動的に始まる認知プロセスです。意志の力で抑え込もうとしても、脳は勝手に比較処理を走らせてしまうのです。

職場での給与の比較も同様です。行動経済学者の研究では、従業員の仕事満足度は絶対的な給与額よりも、同僚と比較した相対的な給与水準によってより強く予測されることが繰り返し示されています。年収が上がっても、同僚の年収がそれ以上に上がっていれば不満が残る。自分の年収が下がっても、周囲がそれ以上に下がっていれば相対的には満足感が保たれる。──この知見は残酷にも聞こえますが、人間の幸福感がいかに「絶対値」ではなく「比較」で構成されているかを射していきます。

だからといって「比較は仕方ない、諦めよう」と言いたいわけではありません。比較の存在を認めた上でできることがあります。

一つ目は、比較が起きたことに気づくこと。SNSを閉じたあとに何となく気分が沈んでいるとき、「今、上方比較をしたかもしれない」と認識できるだけで、「自分はダメだ」という結論に直行するルートが一つ減ります。気づきは比較を止めはしないが、比較の結論を修正する余地を生みます。

二つ目は、比較の「材料」を意識すること。自分は他者の「編集されたハイライト」と自分の「編集なしの日常」を比較していないか。比較の材料が公平でなければ、そこから導かれる結論もまた公平ではない。この認識は比較を止めないけれど、比較の結果を額面通りに受け取ることへの抵抗力にはなります。

三つ目は、比較の「方向」を選ぶ余地があることを知ること。完全なコントロールは不可能でも、何を見るか、どのメディアに触れるかは、ある程度選択可能です。上方比較を際限なく刺激する情報源の接触時間を減らすことは、比較を「やめる」ことではなく、比較の環境を「調整する」ことです。

社会的比較は人間であることの一部です。それを「悪いクセ」として否定するよりも、仕組みとして理解した上で、比較との付き合い方を探る。その探索のほうが、「比較をやめよう」と自分に命じて失敗し、「やめられない自分」を責めるサイクルよりも、おそらく建設的です。

次回(第6回)は、「なぜ"何もしない時間"に罪悪感を持つのか」。休日にゴロゴロしている自分を許せない、常に何かをしていないと不安──生産性バイアスと休むことの心理学を見ていきます。

なぜ人と比べてしまうのを止められないのか──社会的比較の仕組み

今回のまとめ

  • 社会的比較理論(フェスティンガー, 1954年)──人間には自分の意見や能力を他者との比較を通じて評価する根本的な欲求がある。これは「弱さ」ではなく、社会的動物としての基本機能
  • 上方比較は動機づけになりうるが、多くの場合は自尊心の低下・嫉妬・不満と結びつく。下方比較は一時的に自己評価を回復させるが、他者を見下す傾向を強化するリスクを持つ
  • SNSは比較対象の数・頻度・ポジティブ偏向によって、史上最大の「比較エンジン」となっている。他者の「ベスト」と自分の「日常」を比較する構造が常態化
  • 相対的剥奪──客観的には恵まれていても、周囲との比較で「自分は十分ではない」と感じる。幸福度は絶対条件よりも相対的位置に左右される
  • 社会的比較は自動的認知プロセスであり、意志の力で完全にやめることは非現実的(ギルバートら, 1995年)
  • 比較を「やめる」のではなく「気づく」「材料を点検する」「環境を調整する」ことで、比較の結果に振り回される度合いを減らせる可能性がある

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