退屈の瞬間に、画面が先に立ち上がる
本人の生活の中で、退屈の感覚が立ち上がった瞬間に、ほとんど意識せずに、スマートフォンが手に伸びています。電車待ちの数十秒、レジに並ぶ間、エレベーターを待つ間、湯船に入っている間、トイレの中、テレビCMの間。本人の暮らしの隙間が、画面で埋められています。
この動作は、本人の意思というよりも、長い時間をかけて身についた、反射です。反射を、本人が悪い癖として裁くと、本人は、画面に手を伸ばすたびに、自分を責めることになります。責めるより先に、まず、いま自分は退屈に反応して画面を取ろうとしている、と観察します。
画面が、退屈を消すスピード
画面の刺激は、退屈の不快さを、ほぼ即座に消します。動画の再生、フィードのスクロール、ニュースのチェック、メッセージの確認。これらは、退屈に対して、効果が速い解決策、です。あまりに速いため、本人は、退屈を抱える練習を、ほとんどしないまま、暮らしを続けます。
速い解決策は、本人にとって便利ですが、退屈を抱える筋肉を、弱める方向にも、働きます。退屈を抱える筋肉が弱ると、退屈の許容量が下がり、画面に手を伸ばす頻度が、増えます。画面と退屈の関係は、こうして、回り続けます。
退屈は消えるが、疲れは残る
画面で退屈を埋めた後、本人の中身を見ると、退屈そのものは消えていますが、軽い疲労が、新たに残っています。情報処理、感情の反応、判断、視覚と聴覚の刺激、これらが、画面の時間に詰め込まれているためです。退屈が消えた代わりに、軽い疲労を、新しく受け取っています。
この交換は、本人の中で、ふつう、意識されません。「退屈な時間を、有意義に過ごせた」と本人が感じている裏で、頭は、それなりの労働を、終えた状態です。通知と注意のすり減り でも扱われている、現代の生活の中の、目に見えない疲労源、です。
夜の画面が、翌日の退屈耐性を下げる
夜、寝る前のスマートフォンの時間が、本人の翌日の退屈耐性に、影響することが、あります。眠りの質が下がるため、翌日の本人の頭は、刺激への閾値が下がり、退屈に耐えにくくなります。退屈に耐えにくいから、また画面に手を伸ばす、という回路が、強まります。
夜の画面を、すべて手放す必要は、ありません。ただ、退屈耐性の低い翌日が、夜の画面の時間と、地続きであることだけは、本人の中で、覚えておきます。夜のメッセージを切る や 夜の判断疲れ の発想も、合わせて参考になります。
「ながら」で増える、退屈の埋め方
本人は、家事をしながら動画を流す、食事をしながらSNSを開く、入浴中に音声を聞く、というように、生活の動作と画面を重ねます。これは、退屈な家事や、ひとりの食事に、刺激を上乗せする工夫、です。便利でもありますが、本人の生活の中で「何もしない時間」が、ほぼゼロに、近づきます。
すべての「ながら」を止める必要は、ありません。ただ、一日のうちのいくつかの動作だけ、「ながら」をやめて、その動作だけに、本人の頭を置いてみる、という選択肢を、生活の中に残しておきます。
子どもの頃の退屈と、大人の退屈の違い
子どもの頃、本人は、暇な午後を、空想や、ささやかな遊びで、過ごしていたかもしれません。あの頃は、退屈を、画面以外の方法で、自然に過ごしていました。大人になってからの退屈は、画面という強力な解決策が、常に手元にある中で、起きています。条件が、まったく違います。
子どもの頃のように退屈を過ごせ、という話ではなく、画面以外の解決策が、本人の中に少なくなっていることだけは、いったん見ておきます。子どもの頃の遊びの記憶 も、参考になります。
「画面なしの3分」を試す
退屈な瞬間に、画面を取らずに、3分だけ過ごしてみます。電車待ちの3分、湯船の3分、寝る前の3分、何でも構いません。ただし、目的を持って「ぼうっとする」のではなく、退屈な状態を、退屈なまま、3分間、抱えます。これは、退屈を抱える筋肉の、軽い練習です。
3分は、長く感じる人にも、短く感じる人にも、います。長く感じる人は、本人の中で、退屈の許容量が低くなっているサインかもしれません。これは責められるべきことでは、ありません。少しずつ、慣らしていけば、十分です。
SNSと、退屈の比較
SNSで他人の楽しそうな様子を見ているうちに、本人は、自分の退屈な日常を、相対的に小さく感じることがあります。退屈そのものは、画面で消えていますが、別の不快さ(比較、嫉妬、焦り)が、画面の中で立ち上がります。退屈の交換先として、SNSは、必ずしも本人を、楽にしません。
退屈を埋めるためのSNSが、結果として、本人の気分を下げているなら、それは、退屈との付き合い方を、見直すきっかけです。SNSと比較疲れ の発想も、合わせて参考になります。
動画のおすすめが、退屈を先回りする
動画サイトのおすすめ機能は、本人が退屈を感じる前に、次の動画を提案してきます。本人は、自分の退屈を意識する前に、次の刺激を、受け取り続けます。退屈を感じる隙間が、生活の中に、なくなります。
この仕組みを完全に拒絶する必要は、ありません。ただ、おすすめの自動再生を一度切ってみる、視聴履歴を残さない設定にしてみる、というような、本人と退屈の間に小さな距離を置く工夫を、試せます。本人が、何を見たいかを、本人の側から選ぶ、という小さな主体性を、戻します。
退屈を画面で埋める習慣を、責めない
ここまで読んできた本人は、自分の画面の使い方を、責めたくなっているかもしれません。けれど、退屈を画面で埋める癖は、現代の生活の中で、誰もが多かれ少なかれ持っている、ふつうの癖、です。本人の人格の問題でも、意志の弱さでも、ありません。
癖を責めずに、癖の存在を観察するところから、始めます。観察するだけで、本人と画面の距離は、ほんの少し、変わります。完全に手放す必要は、ありません。
「画面の代わり」を、無理に用意しない
画面の時間を減らそうとすると、本人の中に、その代わりに何をすればいいのか、という不安が、立ち上がります。読書、運動、趣味、勉強、瞑想。代わりの「正解」を用意して、それで埋めようとすると、結局、退屈を別の方法で埋める、という構造に、戻ります。
代わりを、無理に用意しない、というのが、本シリーズの提案です。画面を取らない時間に、本人が何かを成し遂げる必要は、ありません。退屈なまま、過ごします。代わりが見つかったら、それを使えば、いいだけです。
ニュース・速報の連続摂取と、退屈
退屈な時間にニュースアプリを開く本人は、世界の動きに置いていかれないようにする、という建前を、持っていることが、あります。けれど、ニュースの速報を分単位で追っても、本人の生活への影響は、ほとんど変わりません。退屈を埋めるための情報摂取が、本人の中で、不安と疲労を増やしているなら、頻度を、少しだけ下げます。
世界の動きから完全に降りる必要は、ありません。一日2回、ニュースアプリを開く時間を決めておく、というだけで、退屈とニュースの自動的な結合が、少し緩みます。
退屈な会議、退屈な授業の中の画面
退屈な会議や授業の中で、本人が机の下でスマートフォンを開く、という場面が、あります。これは、退屈の不快さを、その場で軽くするための、ふつうの動作です。ただし、その場の本人の頭は、会議や授業の内容から、ほぼ離れます。退屈を抱えていれば拾えたかもしれない情報を、画面に交換しています。
すべての会議で画面を閉じる必要は、ありません。ただ、退屈な時間に、会議の中身に少しだけ意識を残しておくと、後から思わぬ役に立つことが、あります。仕事自体が退屈な時期の扱い方 でも、関連して扱います。
退屈と「無快楽症」の境目で、画面が増える
本人が退屈の時期を超えて、何にも楽しさを感じなくなっている場合、画面の時間だけが、極端に伸びていることが、あります。画面は、退屈を消すのには有効ですが、楽しさを生み出す装置では、本来、ありません。本人の中で、楽しさを感じる回路が、長く動いていない可能性が、あります。
この状態が長く続いている場合は、無快楽症(anhedonia)や、うつ病、その他の状態が背景にあるかもしれません。本シリーズの第1話と最終話で繰り返し触れているとおり、精神科・心療内科への相談を、選択肢として、視野に入れてください。スキルか病気か も、合わせて参考になります。
家族と過ごす時間の中の画面
家族と一緒にいる時間に、本人が画面を見続けていると、家族は、本人と話したい瞬間に、声をかけにくくなります。これは、家族の関係に、ちいさな摩擦を、積み上げていきます。退屈を画面で埋める動作が、本人と家族の間に、薄い壁を、作ることが、あります。
家族と過ごす時間のうち、食事の30分だけは画面を伏せる、という決め事を、ゆるく置いてみます。家族との会話を増やすため、というよりも、本人が、画面なしの時間を、家族と一緒に持つため、です。
「画面なし」を、修行のように扱わない
画面の時間を減らす試みを、修行のように厳しくすると、本人は疲れて、また画面に戻ります。修行ではなく、生活の中の小さな調整として、扱います。完全な禁止ではなく、ふだんの中の、ちいさな例外を、増やす方向、です。
一日のうち、画面を見ていない15分、30分が、本人の中に残っているなら、それで十分、本シリーズの趣旨は、満たされます。完璧な「デジタル断ち」を、本人に求めません。
「画面のない散歩」を、ためしに置く
朝、夕、夜のうちのどこか、10分から15分の散歩を、画面なしで、置いてみます。スマートフォンは、家に置いていく、もしくはポケットに入れたまま、見ません。退屈な感覚が、散歩の中で、何度か立ち上がります。その退屈を、抱えたまま、歩きます。
これは、特別な訓練ではなく、本人の生活の中の、軽い試みです。続けるかどうかも、本人の自由です。朝のリチュアル の発想と、地続きで使えます。
通勤・移動中の画面と、退屈
通勤や移動の時間は、本人にとって、退屈と画面のせめぎ合いが、もっとも起きやすい時間帯、です。電車の中で全員が画面を見ている光景は、いまや、ふつうの風景になりました。本人が、その時間にスマートフォンを開かない選択は、周囲の中で、少し変わった選択にも、見えます。
本人が、移動の時間を、画面に明け渡すかどうかは、本人の生活設計の中で、決められます。週に1回だけ、画面なしの電車の時間を持ってみる、というところから、無理なく始められます。通勤と注意のすり減り も、関連します。
画面の使い方を、定期的に見直す
本人が一度、画面との距離を整えても、生活の中で、自然にまた、画面の時間が伸びていきます。これは、本人の意志の弱さではなく、画面と退屈の自動結合が、強い力で働くため、です。半年に一度、画面の使い方を、本人の中で、軽く見直します。
見直しは、責めるためではなく、本人の生活の中の、現状を確認するため、です。設定を変える、使う時間帯を変える、アプリを減らす、というような、軽い調整を、続けます。完璧な状態を、目指しません。
第4話への接続
次回からは、会員限定の公開です。第4話では、仕事自体が退屈な時期の扱い方を、転職や努力の話に直結させずに、整理します。本人を責めずに、業務の中身と本人の状態を、両側から見ていきます。
本記事についての注意
本記事は、退屈との付き合い方を扱う読み物であり、医療判断や精神疾患の鑑別を代替するものではありません。何にも興味が湧かない、好きだったことを楽しめない、生活全般のやる気が落ちている、という状態が2週間以上続いている場合は、退屈ではなく、無快楽症(anhedonia)、うつ病、その他の状態が背景にある可能性があります。精神科・心療内科・かかりつけ医にご相談ください。本記事は特定のデジタルデトックス商材、療法、自己診断を推奨するものではありません。
今回のまとめ
- 退屈の瞬間に画面が立ち上がる反射を観察する
- 画面は退屈を速く消すが疲労を残す
- 夜の画面が翌日の退屈耐性を下げる
- 「ながら」で何もしない時間がゼロに近づく
- 子どもの頃の退屈とは条件が違うことを認める
- 画面なしの3分を試す
- SNSは退屈を比較で置き換える
- 動画おすすめが退屈を先回りする
- 画面の代わりを無理に用意しない
- ニュース速報の連続摂取を見直す
- 家族との時間に画面を伏せる時間を作る
- 修行ではなく小さな調整として扱う
- 長期の興味喪失は専門医療へ
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