「壊れていく」を見ているということ──見守る側の苦しみに名前はあるか

タグ一覧を見る

大切な人が壊れていくのを見ている。その苦しみには名前がない。心理学者フィグリーの二次的外傷性ストレスの概念を手がかりに、「見ている側」の痛みに輪郭を与える第1回。

朝、目が覚めるとすぐにあの人のことを考えている。苦しんでいるのはあの人であり、自分ではない──その前提が、あなた自身の苦しみを封じている。見守る側の痛みに心理学の言葉を与える第1回。

あの人のことが、頭から離れない

朝、目が覚めて最初に浮かぶのは自分のことではありません。

あの人は昨夜、眠れただろうか。食事はとっただろうか。返信がないのは、ただ忙しいだけだろうか。それとも──。「それとも」の先を考えそうになって、思考を止める。止めても、数分後にまた始まる。通勤の電車で、会議の合間に、夕食の支度をしながら。あの人のことが、頭のどこかにずっとある。

こうした状態が数日なら、心配性で済むかもしれません。しかし、これが数か月、あるいは数年にわたって続いているとしたら。あの人の状態が少し良くなれば自分もほっとし、悪くなれば自分の胃も痛む。自分の感情の天気図が、あの人の調子に連動してしまっている。

パートナーがうつ病を患っている。親がアルコールに依存している。きょうだいが自傷行為を繰り返している。親しい友人が、少しずつ、確実に、以前のその人から遠ざかっていく。──大切な人が「壊れていく」のを見ている人は、その人の数だけいます

しかし、この経験について語る場所は驚くほど少ない。なぜなら、「苦しんでいる人」はあの人であり、自分ではない。自分の苦しみは、あの人の苦しみの前では取るに足らないものだと感じてしまうからです。

「見ている側」という場所

心理学や医療の文脈では、苦しんでいる人──患者、クライアント、当事者──に焦点が当たります。それは当然のことです。彼らの苦しみは切迫しており、支援は彼らに向けて設計されるべきです。

しかし、その構造のなかで、「見ている側」──家族、パートナー、親しい友人──は構造的に不可視になります。医療者は患者を診ますが、待合室で不安に耐えている家族を診る人はいません。カウンセラーはクライアントの話を聴きますが、クライアントの帰りを待つパートナーの話を聴く枠組みは、通常、用意されていません。

「見ている側」には複数の特徴があります。

第一に、苦しみの正当性が自分にあると感じにくい。「本当に辛いのはあの人であり、自分ではない」──この認識は事実として正しい側面がある一方で、自分の苦しみを語ることを構造的に封じてしまいます。

第二に、終わりが見えない。風邪を引いた人を看病するのは数日です。しかし、精神疾患、依存症、慢性的な生きづらさは、回復の見通しが不透明であり、「いつまで」がわからない状態が続きます。距離のわからないマラソンを走り続けているような状態です。

第三に、自分の苦しみを認識すること自体に罪悪感がある。「あの人はもっと辛いのに、自分が辛いなんて言えない」。この罪悪感は、苦しみを語ることだけでなく、苦しみを感じること自体を抑制します。結果として、「見ている側」は自分の感情を切り離し、機能だけで動き続けることになります。──その果てに何が起きるかは、前シリーズ(§4-49「感情が遠くなった人の心理学」)で詳述したとおりです。

「壊れていく」──この言葉がすくい上げるもの

「壊れていく」という表現は、臨床的には不正確かもしれません。しかし、見ている側の人がこの言葉を使うとき、そこには正確な心理的経験が反映されています。

「壊れていく」が意味するのは、かつてのあの人と、今のあの人との間の断絶です。以前は笑っていた人が笑わなくなった。以前は外に出ていた人が部屋にこもるようになった。以前は話を聴いてくれた人が、こちらの言葉に反応しなくなった。──それぞれの変化は、ひとつひとつは小さいかもしれません。しかし、その蓄積が「壊れていく」という言葉を呼び寄せるのです。

この語にはもう一つの含みがあります。元に戻らないかもしれない、という恐怖です。壊れたものは修復できることもありますが、元通りにはならないかもしれない。あの人が以前の姿に戻ることはないのではないか──その予感が、見ている側の奥底に沈んでいます。

ここで重要なのは、「壊れていく」はあの人の状態だけでなく、あの人との関係性の変化をも指しているということです。かつてのあの人との関係──一緒に笑ったり、話し合ったり、支え合ったりした関係──が、少しずつ変質していく。この喪失は、あの人がまだ目の前にいるために「喪失」として認識されにくい。しかし、確実に何かが失われています。心理学者ポーリン・ボスはこの状態を「あいまいな喪失(ambiguous loss)」と名づけました。人はいるのに、関係は変わってしまった。いるのに、いない。この宙吊りについては、第5回で深く掘り下げます。

心理学はこの苦しみに名前を与えている

1990年代、アメリカの心理学者チャールズ・フィグリーは、ある現象に注目しました。災害や暴力の被害者を支援する専門職──救急隊員、消防士、カウンセラー、看護師──のなかに、被害者と同様の心理症状を示す人がいる。フラッシュバック、睡眠障害、感情麻痺、過覚醒。トラウマ的な出来事を直接経験していないにもかかわらず、支援者が損傷を受けている。

フィグリーはこれを「二次的外傷性ストレス(secondary traumatic stress: STS)」と名づけました(Figley, 1995)。そして、その蓄積がもたらす慢性的な消耗状態を「共感疲労(compassion fatigue)」と呼びました。共感する能力そのものが疲弊し、燃料が尽きた状態です。

この研究は主に専門職──対人援助職の人々──を対象としていました。しかし、考えてみてください。専門職には勤務時間があります。引き継ぎがあります。スーパービジョンと呼ばれる専門的なサポート体制があります。同僚がいます。そして、何よりも──仕事が終われば帰宅できます

大切な人が壊れていくのを見ている家族やパートナーには、そのどれもありません。勤務時間は24時間で、引き継ぎはなく、スーパービジョンもなく、帰る場所はその人のいる家庭そのものです。フィグリーが専門職に見出した二次的外傷性ストレスが、専門職よりもはるかに脆弱な条件下で、大切な人の傍らにいる人々にも生じていることは、驚くことではないでしょう。

近年の研究は、この推測を裏づけています。精神疾患を持つ人の家族介護者に関する複数のメタ分析は、介護者の30〜40%が臨床的に有意なレベルの不安や抑うつを経験していることを報告しています。これは偶然でも、性格の弱さでもありません。大切な人の苦しみに近い位置にいること自体が、心理的な代価を持つのです。

フィグリーは共感疲労の構造をさらに分析し、二つの要素を区別しました。ひとつは二次的外傷性ストレス──他者のトラウマ的経験への暴露によって生じる急性の反応。もうひとつは「燃え尽き(burnout)」──慢性的な要求と不十分な報酬のあいだの不均衡から生じる段階的な消耗です(Stamm, 2010)。見ている側の人の苦しみは、多くの場合この両方を含んでいます。あの人の危機的な瞬間への暴露(STS)と、日々の見守りの果てしなさからくる消耗(燃え尽き)。このシリーズの後半で、それぞれの側面をさらに掘り下げます。

近さの代価──見える位置にいるということ

二次的外傷性ストレスという概念が照らしているのは、ある逆説です。大切な人に近ければ近いほど、その人の苦しみを深く受け取り、かつ、自分では対処できないという無力感が増す

距離のある人──知人、遠い親戚、同僚──は、心配はするかもしれませんが、日常的にその苦しみの場に立ち会うことはありません。一方、近い関係にある人は、苦しみの現場に繰り返し立ち会います。夜中に目を覚まして泣いている姿を。自傷の痕を。空になった薬のシートを。返事がなくなっていくメッセージのやりとりを。

しかし、近さには別の側面もあります。近い位置にいるということは、「あの人を最も理解しているはずの自分」という期待を──内側からも外側からも──背負うことを意味します。家族や友人から「あなたが一番近いんだから、なんとかしてあげて」と言われることがあるかもしれません。医療者から「ご家族のサポートが大切です」と言われることもあるでしょう。あるいは、誰にも言われなくても、自分自身がそう信じている。

ここに罠があります。近さが「責任」に変換され、その責任を果たせないことが「罪」に変換される。あの人のそばにいて、あの人の状態を見ていて、それでも何もできない自分は、怠慢なのではないか。もっと適切な言葉をかけていれば。もっと早く気づいていれば。もっと上手にサポートしていれば。──この「もっと」の連鎖は際限がありません。そして、この自責は語られることがほとんどない。なぜなら、苦しんでいるのはあの人であり、自分の「もっと」の苦しみはあの人の苦しみの前では取るに足りないように見えるからです。

語れなさの構造──三重の封印

大切な人の苦しみを見ている側の人が自分の苦しみを語れない理由は、複数の層から成り立っています。

第一の封印は比較です。「あの人の苦しみに比べれば、自分のこんな気持ちは大したことない」。これは主観的には正直な感覚です。しかし、心理学的に言えば、苦しみは比較で無効化できるものではありません。飢饉のある国の存在があなたの空腹を消さないように、あの人の苦しみの深さは、あなたの苦しみの存在を無効にしません。しかし、比較の論理は感情を抑え込むのに極めて効果的に作用します。

第二の封印は役割です。見ている側の人は──意識的にせよ無意識的にせよ──「支える側」という役割を引き受けています。支える側は崩れてはいけない。支える側が支えを必要としてしまったら、この構造が成り立たなくなる。だから、自分の苦しみは脇に置く。この「支える側」の仮面は、前シリーズで論じたウィニコットの「偽りの自己」と構造的に似ています──環境の要請に応じて、自分自身の感情やニーズを封印し、機能的な表面だけで世界に対応する。

第三の封印は、聞き手の不在です。仮に語ろうとしても、誰に語ればいいのか。友人に話せば、あの人のプライベートを暴露することになりかねない。家族に話せば、心配が広がって状況が複雑になる。あの人本人に話せば、「あなたが辛いのは自分のせいだ」とあの人をさらに追い詰めてしまうかもしれない。──語る先がないのです。

この三重の封印──比較による無効化、役割による抑圧、聞き手の不在──が重なることで、見ている側の苦しみは言語化されないまま蓄積します。言語化されないということは、整理されないということです。整理されないということは、身体のなかに溜まるということです。この身体への蓄積については、第3回で詳しく扱います。

「支える」という言葉の重力

日本語には「支える」「見守る」「寄り添う」といった、大切な人のそばにいることを表す美しい言葉があります。しかし、その美しさの裏側には、重力があります。

「支える」は、支え続けることを含意します。支えをやめたら、あの人が倒れるかもしれない。「見守る」は、目を離さないことを含意します。目を離した隙に何かが起きたら、自分の責任になる。「寄り添う」は、自分の場所を離れて相手の場所に移動することを含意します。自分自身の足場がなくなっても。

これらの言葉が共有しているのは、行為者の消耗を語彙のなかに含んでいないということです。「支えていて疲れた」「見守るのが限界だ」「寄り添い続けることが苦しい」──こうした文は、語彙的には成立しますが、心理的には発話しにくい。なぜなら、「支える」こと自体が美徳とされているため、その美徳からの撤退は──あるいは美徳の代価を語ることは──弱さや不誠実さの表明に聞こえてしまうからです。

このシリーズでは、「支える」ことのコストを語ることは、弱さではないという前提に立ちます。あなたの疲弊は、あなたの愛情の不足ではありません。それは、愛情がある人にしか生じない消耗です。

このシリーズでやること、やらないこと

全10回にわたるこのシリーズは、大切な人が苦しんでいるのを見ている側──パートナー、家族、きょうだい、親しい友人──の心理的経験を、構造的に理解することを試みます。

やること:

  • 「見ている側」の苦しみに心理学の言葉を与える
  • 無力感、怒り、罪悪感、疲弊──見ている側に生じる感情の構造を解説する
  • 身体に蓄積するストレスのメカニズムを説明する
  • 「あいまいな喪失」「境界線」「共感のコスト」など、この経験を理解するための概念を紹介する
  • 「どうすればあの人を救えるか」ではなく「この状況のなかで自分自身をどう理解するか」を主題にする

やらないこと:

  • あの人の状態を診断したり、具体的な対処法を処方したりすること──それは医療や心理臨床の領域です
  • 「もう離れましょう」「もっとそばにいましょう」という一方向のアドバイス
  • 見ている側の人を「共依存」「イネイブラー」などのラベルで類型化すること
  • 苦しんでいるあの人を責めること、あるいはあの人の苦しみを矮小化すること
  • 「こうすれば楽になれる」という安易な約束

全10回の見取り図

このシリーズは、以下のように進みます。

  • 第1回(本稿):「見ている側」の苦しみに輪郭を与える──二次的外傷性ストレスの概念を導入
  • 第2回:「助けたい」がなぜ自分を追い詰めるのか──無力感の心理学的構造
  • 第3回:目撃することの身体への影響──神経系とアロスタティック負荷
  • 第4回:苦しむ相手への怒りと、怒りへの罪悪感──「許されない」感情の構造
  • 第5回:あいまいな喪失──いるのにいない、という宙吊りの悲しみ
  • 第6回:境界線を引くことの痛み──自分を守ることへの罪悪感
  • 第7回:共感のコストと回路──感じすぎること、感じなくなること
  • 第8回:「もう関われない」の手前で──関係の限界と撤退の心理学
  • 第9回:見守る自分を支える──セルフ・コンパッションと「十分な目撃者」
  • 第10回:「救えない」を抱えたまま、そばにいる

第1〜3回は無料で公開します。大切な人の苦しみを見ている方が、自分の経験に名前を見つけるための入口として読んでいただければと思います。

「壊れていく」を見ているということ──見守る側の苦しみに名前はあるか

今回のまとめ

  • 大切な人が「壊れていく」のを見ている側には、構造的に名前がつきにくい苦しみが生じている
  • 「見ている側」は、苦しみの正当性の疑い、終わりの見えなさ、苦しみを認識する罪悪感の三重構造のなかに置かれている
  • 心理学者フィグリーは、他者の苦しみに近い位置にいることで生じるストレスを「二次的外傷性ストレス」「共感疲労」と名づけた──専門職だけでなく、家族やパートナーにも生じる
  • 近さの代価──大切な人に近ければ近いほど、苦しみを深く受け取り、かつ「もっとできたはず」の自責が増す逆説がある
  • 語れなさには構造がある──比較による無効化、役割による抑圧、聞き手の不在の三重の封印
  • 「支える」「見守る」という言葉は美しいが、その行為のコストを語彙のなかに含んでいない
  • このシリーズは「あの人をどう救うか」ではなく「この状況のなかで自分自身をどう理解するか」を扱う

シリーズ

「あの人が壊れていくのを見ている」──大切な人の苦しみと無力感の心理学10話

第2回 / 全11本

第1回

第10回:先延ばしの大物タスクを、AIで分解して終わらせる

この記事へ移動

第2回

「壊れていく」を見ているということ──見守る側の苦しみに名前はあるか

朝、目が覚めるとすぐにあの人のことを考えている。苦しんでいるのはあの人であり、自分ではない──その前提が、あなた自身の苦しみを封じている。見守る側の痛みに心理学の言葉を与える第1回。

現在表示中の記事です。

この記事を開く

第3回

「助けたい」が自分を壊すとき──無力感の心理学的構造

最初は助けられると思っていた。声をかけ、情報を集め、専門家を勧め──しかし何をしても状況は変わらなかった。無力感が恥に変わるメカニズムを心理学の言葉で読み解く第2回。

この記事へ移動

第4回

あなたの身体も引き受けている──目撃することの神経科学

辛いのはあの人であり、自分は元気なはず──その前提が、あなたの身体からの警告を見えなくしている。目撃することの神経科学を手がかりに、見守る側の身体に蓄積するコストを読み解く第3回。

この記事へ移動

第5回

怒りという名の悲鳴──苦しむ人への「許されない」感情

苦しんでいるあの人に対して、怒りを感じることがある。なぜ治ろうとしないのか。なぜ助けを受け入れないのか。その怒りは「許されない」ように感じる──しかし、そこには構造がある。

この記事へ移動

第6回

いるのに、いない──あいまいな喪失と宙吊りの悲しみ

あの人はまだ目の前にいる。しかし、かつてのあの人はもういない。悲しんでいいのかさえわからない──ボスの「あいまいな喪失」が照らす、宙吊りの悲嘆。

この記事へ移動

第7回

境界線という名の傷──自分を守ることはなぜこんなに痛いのか

自分を守るために距離を置こうとする。しかし、その瞬間に罪悪感が襲う。「境界線」が万能ではない理由と、自己保護の痛みを構造的に理解する。

この記事へ移動

第8回

感じすぎること、感じなくなること──共感のコストと回路

最初はあの人の痛みが自分の痛みのように感じられた。しかし、いつの間にか何も感じなくなっていた。共感疲労と共感的遮断のメカニズムを理解する。

この記事へ移動

第9回

「もう関われない」の手前で──関係の限界と撤退の心理学

「もう関われない」と感じたとき、それは冷たさではなく限界の認識かもしれない。関係から離れることの心理的プロセスとモラルジレンマ。

この記事へ移動

第10回

見守る自分を支える──セルフ・コンパッションと「十分な目撃者」

あの人を支えてきたあなた自身が、支えを必要としている。セルフ・コンパッションと「十分な目撃者」の概念から、見守る側を見守る枠組みを考える。

この記事へ移動

第11回

「救えない」を抱えたまま、そばにいる

救えない。治せない。元に戻せない。そのすべてを抱えたまま、それでもそばにいるという選択。「救えない」を抱えた先の関係を見つめる最終回。

この記事へ移動

関連シリーズ

近いテーマのシリーズ

現在の記事カテゴリ: 対人関係・社会

ケア負担 無力感 他者のメンタル不調 喪失・悲嘆

対人関係・社会 / 全10本

大人の友情を育て直す

大人になってからの友情を、距離感や相互性から育て直すシリーズです。

友情 居場所感 つながり 相互性

このシリーズを読む

対人関係・社会 / 全1本

「比べてしまう」が止まらないとき

比べてしまう苦しさを、羨望や自己価値の揺れから読み直します。

比較 羨望 自己価値 他者評価

このシリーズを読む

対人関係・社会 / 全10本

「大勢になると何も喋れなくなる」をほどく──場の中で言葉が消える心理学10話

大勢の場で言葉が消える理由を、集団力学と安心感からほどきます。

集団力学 発言しづらさ 居場所感 他者評価

このシリーズを読む

対人関係・社会 / 全1本

「なんとなく寂しい」がつづくとき

なんとなく寂しい状態を、つながりや居場所感の不足から整理します。

孤独感 居場所感 つながり 空虚感

このシリーズを読む

対人関係・社会 / 全1本

人づきあいの静かな疲れをほぐす

人づきあいの静かな疲れを、休息と境界線の視点で軽くするシリーズです。

対人疲れ 境界線 休息 自己調整

このシリーズを読む