上達しないと続けられない病

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上達ベースでしか趣味を続けられない構造を扱います。

趣味に上達はノルマではありません。

「下手なまま続ける」が、いつから難しくなったか

子供のころに描いた絵、初めて触れたピアノ、誰にも聴かせない歌。下手だった時期の自分は、下手であることを、楽しさの一部として受け入れていたはずです。けれど、いつからか、下手なまま続けることが急に難しくなる時期が来ます。「もう少し上達してから人に見せよう」「上達しないなら時間の無駄かもしれない」「同じ時間を勉強に使った方が」と、計算が頭に入り込んできます。第二話は、この計算の正体を扱います。

上達しないと続けられない感覚を、本シリーズでは「上達病」と呼びます。病名ではなく、現代の生活が量産する一つのパターンへの呼び名です。誰の中にも、強弱の差で存在しています。完全に消すというより、自分の中で大きくなりすぎたぶんを縮めるイメージが、本話の方向性です。

SNSが上達のものさしを家に持ち込んだ

上達病が広がった大きな要因の一つは、SNSの普及です。以前は、同じ趣味を持つ人の上達具合は、近所のサークルや、雑誌の作例コーナーで断片的に見えるだけでした。今は、検索すれば、世界中の同じ趣味の人の最高傑作が、自分の手元の画面に流れてきます。比較は、希望的な選択ではなく、避けようがない既定値になっています。

SNSのものさしは、上位の達成を当たり前の基準に見せる構造を持っています。投稿される作品は、その人の数十回・数百回の試行の中で選ばれた一作です。けれど受け手は、その一作だけを見て、自分の今日の一作と比べる。比較の母集団が偏った瞬間に、上達という概念は、自分の中で勝手にハードルを上げ始めます。

「時間対効果」が趣味に侵入する

もう一つの侵入経路は、「時間対効果」の発想です。仕事や学習の世界で長く使われてきた評価軸が、趣味の領域にも入り込みました。「この一時間で、自分はどれだけ上達できたか」「同じ一時間を勉強に当てたほうが、人生にとっての価値が高かったのではないか」。趣味は、本来、効果と無関係に楽しむための時間でした。けれど、効率の言語が頭の中で常駐していると、趣味も、効率の網にかかります。

時間対効果の網にかかった趣味は、楽しさよりも、罪悪感を生みます。三時間ゲームをしたあとに「この時間で資格の勉強ができたのに」と感じる、二時間ピアノを触ったあとに「曲が一つも完成しなかった」と感じる。罪悪感が積もると、起動の手前で先回りして止まる。第一話で扱った起動エネルギーの問題と、ここで連結します。

「上達」と「習得」を分ける

言葉の整理を一つ。「上達」と「習得」は、似ているようで違います。習得は、できなかったことができるようになる過程で、新鮮さと結びついた感覚です。上達は、すでにできることを、より精度高く・速く・うまくできるようになる過程で、しばしば反復と退屈を伴います。趣味の楽しさの多くは、上達ではなく習得の側にあります。

新しい曲を弾いてみる、新しいレシピを作ってみる、新しいゲームジャンルに触れてみる。習得は、上達と違って、比較されにくい領域です。なぜなら、できなかったことができるようになる瞬間は、本人にしか分からないからです。SNSに投稿しても、外側からはその喜びは見えません。だから、上達病に侵されにくいのは、習得の側の経験です。

上達しないと続けられない病

「うまくなりたい」を否定しない

誤解されやすいので念のため書きますが、「うまくなりたい」という気持ち自体は否定しません。上達への意欲は、人を支える健全なエンジンの一つです。問題は、上達が「続けるための条件」になってしまうことです。「上達するならやる、しないならやらない」という条件付き契約の中に趣味が入ると、趣味は仕事に似てきます。仕事は条件で動きますが、趣味まで条件で動くと、休む場所がなくなります。

上達したい気持ちを持ったまま、上達を条件にしない。この姿勢は矛盾しているように見えますが、ふだんの暮らしの中では、ふつうに両立しています。たとえば、料理を作るとき、もっとうまくなりたいと思いつつも、今日の料理が前回より上達していなくても、食卓を畳まずに食事を続けます。それと同じ姿勢を、他の趣味にも借りてくる、というのが本話の提案です。

「停滞期」と「成長曲線」の幻想

上達病をこじらせる要素の一つに、「停滞期は越えれば伸びる」「成長曲線は階段状」という幻想があります。スポーツや楽器の教本では、確かに正しい場合があります。けれど、すべての趣味で同じ曲線が描けるわけではありません。多くの趣味では、最初に急激に楽しくなり、その後はゆっくり横ばい、というカーブが現実的です。横ばいを「停滞」と捉えて、突破を急ぐと、楽しさが圧迫されます。

横ばいは停滞ではなく、安定です。安定の上で趣味を続けている人は、外から見ると「進歩していない」ように見えますが、本人の生活の中では、安定こそが趣味の機能になっています。前のシリーズで触れた 土曜日は休む日にするのように、横ばいを許容することが、長く続けるための条件です。

「比較できないもの」を意識的に増やす

上達病から距離を取るための具体策の一つは、比較できないものを、自分の趣味の中に意識的に増やすことです。たとえば、料理なら、家族の好みに合わせて作る一品。比較対象が世界中の名店ではなく、自分の家族の今日の気分に絞られます。読書なら、誰にも勧めない、自分だけのメモ。SNSに書評を投稿せず、ノートに一行だけ書く。ゲームなら、攻略情報を見ずにプレイする時間を確保する。

比較できないものは、効率が悪く、外から見れば成果も乏しい時間です。けれど、その効率の悪さの中に、楽しさが残っています。前のシリーズで触れた アウトプットしない時間と同じ姿勢で、外に出さない時間を、趣味の中に確保します。

「目標を立てない」は怠惰ではない

上達病の対極にある選択として、「目標を立てない」があります。年間百冊、半年でこの曲をマスター、一年で大会出場。目標は確かに、続ける助けになる場合があります。けれど、目標がない状態を「怠惰」と切り捨てる文化が、目標を立てる効能を過大評価しています。目標がない状態は、結果がコントロールできない領域への、健全な距離の取り方でもあります。

目標を立てない期間を「サバイブ期」と名付けてみる方法もあります。生活の他の領域が忙しい時期、趣味は目標なしで「続けばよし、続かなくてもよし」という設定にする。サバイブ期は、目標期と交互に来てもよくて、自分のエネルギーに合わせて切り替えます。「ずっと目標期」を続ける必要はありません。

「やめないだけ」を成功と定義し直す

上達病をほどく最終的な姿勢は、「やめないだけ」を成功と定義し直すことです。今日できたかではなく、今月触れたかどうか。今月触れたかではなく、今年完全には離れなかったかどうか。基準を緩めていくと、続けるための条件が低くなります。条件が低くなれば、趣味は自然に長く続きます。前のシリーズで触れた 予期不安の小さな一歩と同じく、ハードルを下げることは、続ける技術の中心です。

本話で扱った上達病は、第三話で扱う「趣味の仕事化」と、双子のような関係にあります。仕事化が進むと上達病が強くなり、上達病が強くなると仕事化に近づきます。第三話では、好きを仕事に近づけたあとの違和感を、より具体的に扱います。

「初心者だったころの自分」を覚えていない

上達病に深く入った人ほど、自分が初心者だったころの感覚を覚えていません。最初に楽器を持った日、最初にゲームを起動した日、最初に絵を描いた日。何もできない自分が、それでも続けようと思った理由は、上達の見込みではなく、その瞬間の小さな手応えでした。鍵盤を一つ押して、音が鳴ったこと。コントローラを動かして、キャラクターが歩いたこと。線を引いて、紙に色がついたこと。

初心者の喜びは、上達の感覚とは別の質を持っています。それは「世界に作用できる」という、原始的な驚きに近い感覚です。長く続けるうちに、その感覚は薄れます。当然です。同じ動作を何百回も繰り返せば、驚きは消えます。けれど、消えた驚きを「失ったもの」と扱うか、「卒業した段階」と扱うかで、続け方の意味合いは変わります。

上達しないと続けられない病

「下手な自分」を見せる相手を選ぶ

上達病の隠れた要因として、「下手な自分を見せる安全な相手がいない」という環境要因があります。SNSは公開度が高すぎ、家族には趣味の文脈が伝わらない、職場の人には別の顔がある。下手な状態を見せられる相手がいないと、人は無意識のうちに、見せられる水準になるまで自分を隠してしまいます。すると、隠れている期間が長くなり、その期間中の楽しさが減ります。

解決は、見せる相手を一人か二人、意図的に選ぶことです。同じ趣味を持つ古い友人、上達と無関係な家族、別の趣味で長くやっている知人。下手な状態を見せる場が一つあれば、それだけで、隠れている時間の重さが軽くなります。前のシリーズで触れた 断れない関係とは逆方向で、見せられる関係を意識的に確保する作業です。

「数字」と「物語」を分ける記録

記録の取り方を変えるだけで、上達病が和らぐ場合があります。多くの記録ツールは、回数・時間・スコアといった数字の側に最適化されています。数字は比較しやすく、上達の指標として便利ですが、楽しさの指標としては鈍い。数字の隣に、その日の小さな出来事を一行だけ書く欄を作ると、記録の重心が物語の側に寄ります。

「今日はゆっくりした音色が出せた」「途中で猫が乗ってきた」「外の雨音と合わせて弾いてみた」。物語の記録は、上達と無関係な瞬間を保存します。あとから読み返すと、上達の記録より、物語の記録の方が、続ける動機を補給してくれます。第九話で扱う「価値のない時間を残す」の前段として、物語の記録を取り入れてみる価値があります。

「下手だけど続けている人」を意識的に探す

SNSや動画サイトのアルゴリズムは、上手な人の発信を優先的に見せる仕組みになっています。再生数の多い動画、いいねの多い投稿、洗練された作例。アルゴリズムの結果として、自分の視界には、上達した人ばかりが並びます。すると、世界には上達した人しかいないように見えてきます。これは、見え方の偏りで、現実とは違います。

現実には、下手なまま十年・二十年続けている人がたくさんいます。けれど、彼らは目立ちません。発信しないか、発信しても見つかりにくい。意識して探すと、ようやく見つかります。古いブログ、地域のサークル、家族・知人の中の「あの人、ずっと趣味でやっているらしい」という人。下手なまま続けている人を一人見つけると、それだけで自分の続け方の参照点が一つ増えます。

「やめてもいい」を先に保証する

逆説的ですが、上達病から距離を取る最後の手は、「やめてもいい」を自分に先に保証することです。続けなければならない、と思っているうちは、上達できない自分への罪悪感が止まりません。「いつやめてもいい、明日やめても誰にも責められない」と先に決めると、続けるか続けないかが、義務ではなく選択になります。選択になった瞬間、続けるほうにもう一度、楽しさが戻る場合があります。第六話で扱う「やめ方」の前提でもあります。

強い不調が続くときは専門家へ

趣味だけでなく、食事も人との会話も楽しめない、朝起きるのがつらい状態が二週間以上続く場合は、自己流の対応にこだわらず、心療内科や精神科への相談が現実的です。地域の精神保健福祉センターや、職場の産業医に話すルートもあります。

今回のまとめ

  • 上達を「続ける条件」にしてしまうと、趣味は仕事に似てくる
  • SNSと時間対効果の発想が、家の中に上達のものさしを持ち込んだ
  • 「上達」と「習得」を分けると、楽しさの多くは習得の側に残っている
  • 横ばいは停滞ではなく安定で、長く続けるための機能
  • 比較できないものを意識的に趣味の中に増やす
  • 「やめないだけ」を成功と定義し直すと、続けるハードルが下がる

シリーズ

「趣味が楽しめなくなった」── 趣味が楽しめなくなった10話

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上達しないと続けられない病

趣味に上達はノルマではありません。

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