好きだったゲームが起動できない

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好きだった趣味に手が伸びない感覚を、生産性圧力の側から扱う導入回。全10話の目次つき。

好きだったものが起動できないのは、好きでなくなったわけではないかもしれません。

起動するまでが、いちばん重い

かつて夢中になったゲームのアイコンが、ホーム画面の同じ位置にずっと並んでいる。指は、別のアプリを開く動きを覚えていて、ゲームを起動する手前で止まる。「やりたい気持ちはあるはず」と頭では思う。けれど、最後にプレイしてからもう何ヶ月も経っている。読みかけの本も同じ棚に挿してあり、楽器のケースは押し入れの奥にあります。好きだったはずのものに、手が伸びない時期があります。

このシリーズは、好きだったものが楽しめなくなった感覚を、十話を通して扱います。「飽きた」「興味が移った」と一言で片付けるには重く、しかし「うつ」と呼ぶには輪郭がぼやけている、その中間の領域です。本話では、入口として、好きだったものに手が伸びない瞬間そのものを、丁寧にほどきます。

「楽しくない」と「興味がない」は別の感覚

好きだったものが楽しめないとき、頭は短絡的に「もう興味がないのだろう」と結論を出そうとします。けれど、注意して感覚を見ると、興味は残っていて、ただ起動の段になると体が重い、ということがあります。動画でゲーム実況を見れば面白いし、楽器の音色を聴くと心が動く。ところが、自分でコントローラを握ったり、楽器を取り出したりする手前で、何かがブレーキを踏みます。

このブレーキは、興味の喪失ではなく、別のものが疲れている合図です。ブレーキの正体を、これからの十話で少しずつ分解していきます。まず最初に、「楽しめない」と「興味がない」を分けて言葉にできるようになると、自分の状態への扱いが変わります。

趣味が「成果」軌道に乗ってしまっている

好きだったものが楽しめなくなる典型パターンの一つは、その趣味が、知らないうちに「成果」軌道に乗ってしまっていることです。ゲームならクリア率、トロフィー数、レート、配信の視聴数。読書なら年間冊数、読書メーターの記録、読了率。楽器なら録音、SNSでの反応、人前で弾ける曲数。最初は数えていなかったはずの指標が、いつのまにか、趣味の真ん中に居座っています。

趣味は、成果のために始めたわけではないのに、続けるうちに、結果としての成果が、楽しさの代わりに頭を占めるようになります。すると、起動の手前で「今日も思うように上達できないかもしれない」という小さな未来のがっかりが先回りして、起動そのものを止めてしまいます。本シリーズの第二話で扱う「上達病」の入口です。

仕事に近い趣味から、先に止まる

もう一つの典型は、仕事に近い趣味ほど、先に止まる、というパターンです。仕事でデザインをしている人がデザインの趣味を持っていると、休みの日にデザインソフトを開こうとした瞬間、仕事の脳が立ち上がります。同じスキルを使う趣味は、休息にならない。むしろ「これも上達のための時間」「いつかキャリアの糧になる」という未来の言い訳がつきまといます。

仕事と趣味の境界がない暮らし方は、外から見ると効率的に映りますが、内側では、休む場所が消えるという代償を払っています。前のシリーズで触れた 境界は三層あるの話と同じく、仕事と離れる時間の確保は、生産性の対極ではなく、長く続けるためのインフラです。

「アンヘドニア」という言葉について

楽しさが感じられない状態を、医学では「アンヘドニア」と呼ぶことがあります。うつ病の中核症状の一つとされる用語ですが、本シリーズでは、診断名としてではなく、感覚を指す言葉として使います。仕事の好きなプロジェクト、好きだった食事、好きだった音楽、すべてに対して同じように楽しさが消えている場合は、自己流の対応ではなく、心療内科や精神科への相談が現実的です。地域の精神保健福祉センターや、勤め先の産業医に最初に話す方法もあります。

一方、趣味だけが楽しめない、けれど食事や人との会話は楽しめる、というケースは、生活全般の楽しさが消えているわけではありません。本シリーズは、こちらの「趣味だけが消えた」状態を主な対象として、心の側からの扱いを整理します。両者の違いは、第一話の早い段階で意識しておくと、自分の状態への手当てを取り違えずに済みます。

好きだったゲームが起動できない

「最近、楽しいことがない」とは限らない

趣味が楽しめないと、つい「最近、楽しいことが何もない」と総括してしまいがちです。けれど、丁寧に振り返ると、楽しい瞬間は確かに存在しています。同僚との雑談で笑った瞬間、犬や猫を見て気持ちが動いた瞬間、好きな食べ物の最初のひと口、温かいお湯に浸かった瞬間。小さな楽しさは、消えていません。消えているように見えるのは、大きな楽しさの方です。

大きな楽しさ、つまり「夢中になって何時間も没頭する」種類の楽しさは、起動エネルギーが必要です。エネルギーが足りない時期には、大きな楽しさだけが先に消えます。小さな楽しさは、エネルギー消費が少ないので、生き残っています。今ある小さな楽しさを否定せず、まず認めることが、回復の最初の一段になります。

「やればきっと楽しい」という誘惑

趣味に手が伸びない時、頭の中で「やればきっと楽しい」「最初の十分を超えれば、また夢中になれる」という声が動きます。確かにその場合もあります。やってみると、案外楽しめる日もあります。けれど、毎回その方法でうまくいくとは限りません。むしろ、無理に起動して「今日も楽しめなかった」と再確認してしまい、次の起動がさらに遠ざかることもあります。

「やればきっと楽しい」は、自分を励ます言葉として使うぶんには害が少ないですが、自分を責める鞭として使うと、趣味が遠くなります。「やる気が出ないのは、楽しもうとしていないからだ」という自責は、感覚にとってさらに重い。第六話で扱う「やめ方」は、責めない選択を含んでいます。

「無趣味な人」になる不安

長く好きだったものから離れる時期、「自分は無趣味な人になってしまうのではないか」という不安が、別の重さを乗せます。SNSのプロフィールに書く趣味がなくなる、友人との会話で趣味の話を振れなくなる、休日の予定が立てづらくなる、自己紹介で何を語ればいいか分からなくなる。趣味は、アイデンティティの一部を担っていたことに、離れて初めて気付きます。

けれど、無趣味であることは、人格の欠落ではありません。生活の中で楽しめる瞬間が小さくあれば、それで人は十分に生きていけます。第七話で扱う「探さない」という選択は、無趣味を一時的な状態として許容する姿勢から始まります。アイデンティティの飾りを焦って増やすより、まず内側を満たすほうが、結果的に趣味も戻ってきやすい。前のシリーズで触れた いい人を演じるほど本音が遠くなると同じ構造で、「趣味のある人」を演じすぎると、本物の好きが薄まります。

「役に立たない時間」を奪う暮らしの構造

楽しさが消える背景には、生活そのものが「役に立つ時間」で埋め尽くされている、という構造があります。朝起きて、通勤しながら情報収集、昼休みにメール、夜は副業や学び直し、寝る前は明日の準備。すべての時間に、何かの目的がついています。趣味の時間が「役に立たない時間」として確保されていた時期と比べて、今は、役に立たない時間そのものが、生活から消えています。

趣味は本来、役に立たない時間の中で育つものです。役に立たない時間が消えた生活には、趣味の居場所がなくなります。第九話で扱う「価値のない時間を残す技術」は、まずカレンダーに、何の目的もない時間帯を一つ作ることから始まります。前のシリーズで触れた 許可がないのが怖いのように、自分に対して「役に立たない時間を持ってよい」という許可を出すこと自体が、最初の練習です。

シリーズ全体の道筋

シリーズ十話のうち、第二話と第三話では、楽しめない構造の主犯である「上達病」と「仕事化」を扱います。第四話と第五話は、SNSと共有趣味という、社会的圧力の側面。第六話で「やめ方」、第七話で「探さない」、第八話でケア役割による断絶、第九話で「役に立たない時間」、第十話で「30分の好き」の戻し方を提示します。順番通り読まなくても、自分の今の入り口から読み始めて構いません。

本シリーズが目指すのは、趣味を「再起動する」ことではなく、楽しさという感覚そのものへの距離感を、自分のペースで整え直すことです。元のように夢中になれる日が戻ってくるかもしれないし、そうでないかもしれません。どちらの結末も、否定されない場を、十話の中に置きます。

好きだったゲームが起動できない

「以前のように」戻ろうとしないこと

趣味が楽しめなくなった人がいちばん最初に願うのは、「以前のように夢中になれる自分に戻ること」です。けれど、以前の自分は、その時期の体力、その時期の生活環境、その時期の人間関係の中で成立していた存在で、今の自分が同じ姿に戻る必要はありません。むしろ、その願いが強すぎると、今ある小さな楽しさを、過去と比較して値引いてしまいます。「昔は徹夜してでもプレイしていた」「昔はもっと長時間練習していた」という比較は、現在の三十分の楽しみを薄くするだけです。

シリーズの底に流れているのは、「以前と同じ自分に戻る」ことではなく、「今の自分の生活に合う形で、好きを再配置する」という方向です。再配置のためには、まず過去の楽しみ方を一度、棚に上げる必要があります。完全に捨てなくていい、けれど、毎日参照しないように箱にしまう。そうすると、現在の感覚で、ゼロから「今、何が少し気持ちいいか」を観察できる余白が生まれます。

シリーズが避けたい三つの落とし穴

本シリーズで意識的に避けたいのは、三つの落とし穴です。一つ目は、「とにかく趣味を作りましょう」と勧めること。新しい趣味の押し付けは、楽しめない時期の人にとって、もう一つの宿題です。二つ目は、「好きを仕事に」と煽ること。仕事化が原因で楽しさが消えている人に、さらに仕事化を勧めるのは、解決と逆方向です。三つ目は、「全部やめて休みましょう」と一括停止を勧めること。完全停止は、しばしば孤独と退屈を増やし、別の苦しさを生みます。

これら三つを避けて、本シリーズが提案するのは、「小さく続ける」「やめても責めない」「探さなくていい」という、消極的にも見える選択です。一見、消極的ですが、楽しさの感覚を取り戻すには、押し込みより、空けておくことのほうが効くという経験則に基づいています。

読み手の側からの「失敗」を許容する

シリーズを読み進めるうちに、「結局、何も変わらない」と感じる回もあるかもしれません。それは想定内です。十話を読み通すことで、一気に趣味が戻ってくるような魔法を、本シリーズは約束しません。むしろ、「読んでも何も変わらない」という結末を、否定せずに含みます。読んだ事実そのものが、自分の状態を言葉にできる材料を増やしてくれます。言葉が増えると、自分への扱いが少しだけ柔らかくなる。それがシリーズの最終的な狙いです。

本シリーズの読み方として、毎日一話ずつ進めるより、自分の入口に近い回から拾い読みする方法を勧めます。読まなかった回があっても、構いません。読まなかった回は、その時期の自分にとって必要なかった、というだけのことです。

強い不調が続くときは専門家へ

趣味だけでなく、食事も人との会話も楽しめない、朝起きるのがつらい状態が二週間以上続く場合は、自己流の対応にこだわらず、心療内科や精神科への相談が現実的です。地域の精神保健福祉センターや、職場の産業医に話すルートもあります。一人で抱え込まないことが、結果として回復を早めます。

今回のまとめ

  • 「楽しめない」と「興味がない」は別の感覚で、起動エネルギー側の問題が多い
  • 趣味が成果軌道に乗ると、起動の手前でブレーキがかかる
  • 仕事に近い趣味から先に止まるのは、休息の場所がなくなるため
  • 「アンヘドニア」は俗称として使い、生活全般の楽しさが消える状態は専門家相談
  • 小さな楽しさは残っていることが多く、まず認めるところから始める
  • 「無趣味な人」になる不安は、第七話で扱う探さない選択でほどく
  • 役に立たない時間の確保が、趣味の居場所の前提になる

シリーズ

「趣味が楽しめなくなった」── 趣味が楽しめなくなった10話

第1回 / 全10本

第1回 / 無料記事

好きだったゲームが起動できない

好きだったものが起動できないのは、好きでなくなったわけではないかもしれません。

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