下書きは、昔から必ずしも「一人で」書くものではなかった
AIに下書きを頼むことに、少し引っかかりを覚える人は少なくありません。
「最初の一文くらい自分で書くべきではないか」
「下書きからAIだと、自分の文章ではなくなるのではないか」
「便利だけれど、どこか後ろめたい」
第5回で見た「借りた言葉を三層で扱う」という話が文の途中の扱いだとすれば、今回はもっと手前の話です。そもそも、たたき台そのものを誰が作るのか。その分担をどう見るかがテーマになります。
この感覚は自然です。下書きには、完成前の未整理な思考がそのまま表れる感じがあるからです。だからこそ、「そこまで外に頼ってよいのか」と感じやすい。
ただ、少し歴史を引いてみると、下書きは昔から必ずしも完全に一人で作られてきたわけではありません。口述で文章を起こす。秘書や助手が整える。編集者がたたき台を直す。定型文を参照しながら案を作る。文書づくりには、かなり前から分担の要素がありました。
つまり、問題は「最初の文字を誰が置いたか」だけではないのです。むしろ重要なのは、何を伝えるか、誰に向けるか、どこまで言うか、何を引き受けるかを誰が決めたかです。
この回では、下書きの役割が歴史の中でどう分担されてきたのかを見ながら、AIを下書きの補助に使う時に人間側へ残したい持ち場を整理します。
この回で扱うこと
- - 下書きは昔からどのように分担されてきたのか
- - たたき台を作ることと、最終的な声を決めることはどう違うのか
- - AIを下書き係として使う時、何が便利で何が危ういのか
- - 自分の文章として残すために、どこを手放さない方がよいのか
